海岸になった友人

知人が海岸になった。しばらく前の話だ。一年くらい前だった気がするが、はっきりとは覚えていない。何の花が咲いていたのかも思い出せないくらいだ。大学院生の時間軸というのは多かれ少なかれ混濁している。

話を続けよう。友人から連絡が来た。知人が海岸になりつつあるのだと言っていた。私は数回くらいしか話したことはなかった。確か、文学系のサークルに入っていた子だよな、と私は確認した。友人はそうだと答えた。高円寺あたりに住んでいた気がする、というと、電話の向こうで「久我山だ」と訂正された。私は興味がなかった。その週の土曜日に見舞いに行くことになった。

病院の場所はよく覚えていない。私はそのとき、北千住に住んでいて――これもどうでもいいことだ。東京の話になると、多くの語り手が地名を挙げたがる。目黒、恵比寿、代官山、渋谷……彼らはそのような地名を付け加えると、リアルさが増すと思っている。私にはくそどうでもいいことのように思える。彼らが同じ量の敬意をもって甲府や金手や三富を扱うことはないからだ。まあ地名の話はやめにしよう。

病院は電車で一時間くらいかかった。隣には何かのリハビリ施設があって、そこに増設された面会室に私は入った。がらんとした大きな部屋だった。隅の方のテーブルに、友人がすでに座っていた。クリーム色の椅子は恐ろしいほど古く、背もたれの合皮の手触りはここが別の世界であることを予感させた。近くには給水機が置かれていたが、飲む気にはなれなかった。頻繁に看護師が部屋をのぞいた。しばらく話をしていると、その知人がやってきた。一通り挨拶を済ませた。入院服が与えられるのではないかと私が聞くと、入院はしていないと彼はいった。今日は通院のついでに面会をしている。すでに、かすかに、しかし聞き逃せないくらいの音で潮騒を聞くことができた。おそらく彼の指先からだろうと私は思った。彼の指先を私は見ないようにした。

帰り道、彼はどうなるんだろうなと友人が尋ねた。私にはなんとも答えようがなかった。電車の中は薄暗く、男の汗のにおいがした。誰かの飲みかけのペットボトルが転がっていた。友人はその時付き合っている女の話をした。そして私に何かを聞いた。私は否定とも肯定ともとれる受け答えをした。

多くの人たちがどこかの岸辺を選ぶ。そしてすでに砂浜になりかけた腕を横たえ、波の砕ける喉を冷たい海水に浸し、霧のように細かい雨が降り続く日に、何の音もたてずに波にさらわれていく。霧のようなしけの向こうに行く。もしくは潮だまりに腰を据えて、干潮と満潮の間、誰もが目を離したすきに、いつの間にか消えていく。

私の思う限りでの――要するに、その体験をした家族が書いたブログを読む限りでの――知識はその程度だった。彼らは何枚か写真を撮って、インターネットにあげていたが、その写真のどこに彼らの面影が残っているのか、私にはわからなかった。お腹が塩っぽく濡れるようになって、頻繁に体を拭かないと生臭くなって、そして彼らは岸辺へと運ばれていく。ゆっくりとしかし着実に。

何か月か経って、その知人は私を呼び出した。これは夏の日だったと思う。蝉の声がよく聞こえたし、その日の帰り道、私は縁日に出くわしたからだ。 その時、その知人はもう入院していた。強い磯のにおいがした。私はマスクを外して、何か挨拶めいたことを言った。彼も同じようなことを言った。彼の下半身はシーツの下に隠れていたが、本来あるべき厚みがないように見えた。私はベッドの横のスツールに腰かけた。ベッドのわきで、ナースコールのボタンが、動物の骨で作られた原始の装飾品のように揺れていた。

彼はいくつか細切れに、海岸になるとはどういうことなのかの感想を述べた。私はそれをおおむね事実として受け取った(少なくとも、認知に関する事実として)。彼は自分の脚が本来眠っている部分を指さした。私は彼の手の向こう側を見た。 彼は触ってみてくれないかと私に言った。私はシーツの上から彼の脚があるべき場所に手を置いた。ごつごつとした岩の手触りを感じた。私は手を離さなかった。

しばらくしてから、彼は「最近、小説は読んでいるのか」という内容のことを聞いた。私は頷いた。彼はタイトルを聞きたがった。ブラッドメリディアンという小説だと私は答えた。19世紀のアメリカで、入植してきた白人と土着のインディアンたちが虐殺しあう話だ、と言った。

 「テーマはなんですか」と彼は聞いた。彼のベッドサイドには度数の切れたテレビカード(まだテレビカードが使われていた)が何枚かおかれていた。  私はもちろん英文学専攻ではないし、小説に関する訓練もしていないが、と私は前置きをした。コーマックマッカーシーという作者は、おそらく、心や感情というものを、小説における二次的要素だと考えていると思う、と言った。  彼は私の話を黙って聞いていた。そして、あなたはどう思いますか、と尋ねた(彼は私より、たぶん、二歳ほど年下だった)。

 心とか感情とかいうものは、結局のところ、何種類かのパターンに帰着する。それらは愛とか友情とか葛藤とか復讐心とか絶望とか、とにかくそのようなある種、我々の共通言語によってまとめることができる。だから本には帯をつけることができる。しかしながら、これらを中心主題にしてしまえば、作家が提示できるのは、それらの凡庸な言葉がいかにして起こりうるかでしかない。背景の多様化、人物の多様化、プロットの多様化。しかし、これらは飽きさせないための工夫でしかない。作家たちは心に逃げ込む。そこをすべてが許される(しかし決してある一線を越えてはならない)最後のユートピアだと思っている。

 私はおおむねこのようなことを言った。彼は黙って聞いていた。私に水をくれといった。部屋の外に浄水器が付いていた。ひどく古びたお茶のラベルが貼ってあったが、その下に、「水のみご利用いただけます」と書いてあった。私はそこから水を汲んできた。

 彼は水を飲むしぐさだけして、コップを置いた。それから、さっきの話は正しいかもしれない、と言った。彼とサンマルクカフェでジョノ・ディアズについて話したのを私は思い出した。しかし議論のすじは記憶の麻袋の一筋に溶け込んでしまっていた。

 沈黙を紛らわそうと、私たちは同時にしゃべりだした。話すよう彼にしつこく促すと、彼は「どこかいい海岸は知らないか」と尋ねた。私は首を振った。山梨県出身だから、私は海をほとんど知らない。砂浜ができる海辺とそうでない海辺の違いも判らないんだ、と答えた。彼はそうですか、と答えた。私は辞去した。彼は「別に海岸をきくために呼んだんじゃないんです」と言った。私は頷いた。ドアの手すりには塩の結晶がこびりついていた。

 さらに何か月か経って、空がとても高い日、ごく短い秋の期間のある日、彼が海岸になったとフェイスブックで見た。友人に連絡を取ると、そうだよ、と短い言葉で返された。みんなが泣いてた、と友人は言った。あいつの恋人も来てたんだ。その子はインスタグラムの更新もできないくらいに憔悴してた。一年もたたずにってひどすぎると彼はつづけた。私はそうだと思うと相槌を打った。彼はまだ言うことがたくさんあるようだったが、私はその海岸の場所を聞いて電話を切った。一年は十分な期間だという気にはなれなかった。

 そこは東京の埋め立て地――確か勝どき駅の近く――で、ほころび始めている倉庫が立ち並んでいた。おそらくはどの会社も手入れをしていないように見えた。コンクリートの道は白く乾いた泥で覆われていて、さらさらと滑った。茎の細い草が生えていたが、私には名前が分からなかった。掃除用具入れが野ざらしになっていた。鍵は破壊されて、どこかのバカが下品な言葉を書いていた。おマンコみたいなやつだ。

 敷地の端に椅子が置いてあった。誰かの服が置いてあった。彼のだろうと私は見当をつけた。その椅子に座ると、つま先がコンクリートの岸辺を越えた。少し向こうにはまた別の倉庫が立ち並んでいて、海の向こうは見通せなかった。暗くよどんだ海水が流れていた。ずっと向こうで二人の男が何か言い争っているのが見えた。私はそこでしばらくじっとしていた。彼の体の手触りのことを考えた。おそらく、あと五分もしたら今日の晩飯のことを考えるのだろう。自分の体の感覚がまるでなかった。