これに関してはハマスが悪い

日記

 まずはタイトルについて謝罪する。私はこれから、政治的に神妙な話を、真剣な顔つきでするつもりはない(もしかすると、私は形容詞を交換したほうがよかったのかも知れない。真剣な話を神妙な顔つきでに。しかし、オリジナルのほうが、私には好ましく思われる……私はオリジナルの方を好む……オリジナルのほうが私は好きだ。未成熟な私の言語野)。

 今日は土曜日、先週は来なかった聖人たちが、福音書をiPadにおさめてやってくる日だった。しかし、私は誰とも会いたくはなかった。多くの人が、このような日をもっていることを、私は知っている。彼らは、それを、二重にロックが掛かった下着入れの中の箱に詰めてしまっておく。または恋人と分け合ったりする。または排水口に流してしまう。または、それに気がつかないまま、ずっと血を流している。私は単に露悪的なだけに過ぎない。あなたは、単に、これが許容されうることだと、分かっていないだけだ。

 だから、私は昼間、コーヒーショップで時間を潰して、図書館で調べ物をして帰った。平成という時代についての本を読んだ。何枚かメモを取った。平成とは――とその本は言っていた――自由と、その代償となる代替可能性の時代である。もっとよい物が常にある時代である。ここで、その妥当性を検討することはよそう。ただ、私は勝利を宣言したくはない。そして、私をもって誰かの勝利だともされたくはない。といっても、私はびびっているだけだが……。

 私が部屋に戻ってから、彼らが訪ねに来ることはなかった。私はほっとした。これによって、私は誰かに勝ったのだろうか? 例えば、洗脳されたくないのにされつつある少年などに? そうでないといいなあと私は思う。

 これは虚偽の申告だが、私の隣に住んでいる人は、上の階の人を殺めているはずだ。これに関しては、私はある程度の確信を持っている。その確信の証拠を提出する準備もできている。そしてこれからその話をする。

 私は彼に血のにおいを感じ取ったのではない。彼は突然、煮込み料理をタッパーに詰めて、私のドアのチャイムを鳴らした。筑前煮はベタ過ぎるし、あなたは男だ、と私は指摘しそうになったが、どちらも、昨今では許されない論点だった。
 その日は三月のいやに寒い日で、私は研究に忙しかった。だから、少し寝不足の頭で、筑前煮を丼に移して、容器を返した。戸棚にノアールの袋が残っていたので、一緒に渡した。
「どうも、これで明日の晩御飯が出来ます。申し訳ないです」
「いやいや、私も、ちょっと冷蔵庫がいっぱいでして。予定なんですけど」
 彼は、髪を短く切った男だった。スポーツをしているらしく、顔の皮膚には無駄がなかった。
 よく、友人を招いては、音楽をかけて、彼はお酒を飲んでいた。その声は僕の部屋まで(もちろん)届いたが、常軌を逸しているわけでも、許容の範囲外でも無かったので、私は放っておいた。それに、彼がたまに、イヤフォンを入れ忘れてアダルトビデオを掛けるのに関しては、少しチャーミングとさえ思っていた。一方で、そのことは、彼の上の階の住人にとっては首肯できるものではなかったようだ。男か女か私は知らないが、それはよく、床をどんどんと踏みしめた。

 想像ができるように、おそらく彼は、上の階の住人を、冷蔵庫と冷凍庫で冷やしている。そして少しずつ棄てている。私はそれを確認している。もちろん、ここで書いていることは、全てウソなので、次のように言った方が正しい。彼が上階の住人を殺して保存していると、私は設定し、その設定を違和感なく一人称の記述に組み込むために、私は『ゴミ袋を調べる』という方法を思いついた。そしてそれを私は実行している。

 その日の夜、彼はいつものように、音楽をかけ始めた。そして、上の階の住人は足を踏み鳴らした。一つだけ欠けているものがあった。そこには人の声がなかった。彼は一人で音楽をかけていた。
 そして、彼はドアを開けた。上の階の足音は、それから少し続いたが、突然やんだ。彼の部屋のドアが開き、閉まった。そして深い沈黙がやってきた。