くっそ暑い

日記

くっそ暑い。昔、ファッキンホットと、ウェットスーツを来た女性がブチ切れている動画を見たことがある。 このような種類のTV番組は、今はできないだろう。 理由は単に、こういったビデオクリップは、『ガイジンの反応をバカにする』こととほとんど不可分で、 原則として、人種や出自に基づいて、人間を笑い者にすることは、彼らの同意が取れていないときには、 悪徳だとみなされているからだ。

ただ、この価値観は、ここ10年近くで急速に発展してきたものだし、未だに『ロシア美人をはめ倒したい』という意見が聞かれることからしても、 十分に浸透しているとは言い難い(もちろん、あなた達は、より露骨な例を思いつくだろうし、思いつくくらい、しっかりとこの世を眺めてきたはずだ)。

個人的な感想としては、移民政策に関して、現政権がどのような対応をしていくのか見ものだが、 これは単に、キャットファイトを眺めるのは、少なくとも動きがあるので退屈しないという点において 見ものだというのと同じようなものだ。

『8月になるたびに、/広島の名のもとに/平和を唱えるこの国/アジアに何を償ってきた』と浜田省吾が歌ったのは1986年。 ハンナ・アーレントが悪の凡庸さの考えに至ったのが1963年。 私は内省的になりすぎているし、政治的になりすぎている。 それにしても、8月になるたびに、私達はとにかく戦争の話をする。 どこで誰が死んだか、何が起きたか、どのような不善がなされ、どのように失敗してきたのか。 そしてそこから学ぼうとしている。身の回りの人が傷つくのは嫌だからといったような話だ。

あまりにも真面目になっている。少し冗談をやろう。 誕生日パーティというものがあり、私の友人の佐竹も、高校二年生のときにやった。 彼はかなりフリーキーなやつで、「自分はフリーキーである」ということが分かってないところも含めて、 フリーキーだった。

私が恐れているのは、私の周りの人が戦争とやらによって突然死ぬことではない。 これと似たケースは、あまりにも周りにあふれている。 例えば、近所の心優しい年寄りが、ふとした拍子に腰の骨を折り、 病院に運ばれ、寝たきりになり、褥瘡にまみれて、骨と皮と膿だらけで死ぬと言ったことは、 もはやありふれているし、 単なるストレス解消のために、精神がやや不可逆的にぶっ壊れるケースなどは、 あなたも観測することができる。 こうした種類の、不条理で理不尽な死は、あなたの理論を借用すれば、 本邦が果敢にも、平均寿命による戦いを世界に仕掛けたり、 生産性による戦いを国際経済に対して仕掛けた結果として起こったことだとみなせる。 私は冗談を言っている。 それにしても、身の回りの人が死ぬのが嫌だったら、たくさんの野犬を集めて、体内に爆弾を仕込んで、 中国に大量に輸出するといった行動は許されるのか? これもまた間違えた冗談の一つだ。

それよりも、私がまさに