たこ(自動小説)
2020-06-19日記
ウェルベックの『セロトニン』を読んだ(翻訳で読んだ)。非常に面白い小説だ。
さて、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は“中年男性が知人に会う旅をする“という話であることは知っているだろう。ググれば出てくる。ググれ。これはかなり穏やかな小説だ。人名が一番過激といってもいいくらいだ。
同様に、『セロトニン』も“中年男性が知人に会う旅をする”という話なのだが、主人公が異常(ウェルベックの主張するところの正常)中年男性だ。こうなると俄然面白くなってくる。中年男性が隠遁することを決めて、辞職して、元カノとか大学時代の友人に会いに行くが、マジでみんな没落してるし、ダノンの内定を蹴ってたガチプロの友達は自殺しちゃうし、うつ病も加速するし、なんかマジでつらいし、もうなんかダルいし死ぬか、死ぬぞ、マンションから身投げして死ぬぞ、死ぬは死ぬんだけど、まああとちょっと待つか、というだけの内容だが異常に面白い。しかも、小説の序盤ですでに「自殺でもするか、中央分離帯にぶつかって自殺するか、するぞ、死ぬぞ おれは死ぬぞ でもちょっと怖いからやめるか」と言っている。思想的な成長が絶無だ。小説を全部通して、
- 無職になる
- うつ病が悪化する
以外に何ら変化がない。マジでヤバい。この中年はマジ最悪で、(テレビ番組は)『討論参加者が多すぎ、全員が大声で話し、この番組の音量は全体として極度に大きかったのでぼくはテレビを切ったがすぐに後悔した』と言ったりする。もちろん、単にテレビの音量設定をミスっているだけだ。ここら辺はかなりナボコフ感がある。
小説の作り方もヤバい。一瞬脱線してまた戻ってきたり、冗長にさせているのはどうでもいいが(ピリオドをカンマに変えるのは、今や何クリックかでできる)、同じネタを何回もやるのに笑ってしまう。
例えば、ハメ撮りというモチーフが『セロトニン』には何度も出てくる。
最初に、恋人の獣姦ハメ撮りビデオを見るというシークエンスがでてくる。次に、元カノの写真が二枚出てくるが、その二枚目が彼女のフェラチオのハメ撮りだ。そのうち、ダチのバンガローに泊まるのだが、そこにいるドイツ人男性も近所のロリをとっ捕まえてはハメ撮りを撮影している。ハメ撮り好きすぎか。ウェルベックの上手いのは、ここで撮影者や被写体の属性をずらして提示してくるところだ。小説うま男dismか。
このように濫用される技術やモチーフは本当に多く、『元カノの事を思い出す』というモチーフも濫用される。
満月が照らし続けている水面は、ぼくがここに着いた時より少し近づいているように見え、これはおそらく潮の満ち引きのせいだろうがぼくはそういったことには無知なのだ、ぼくは思春期をサンリスで暮らしヴァカンスは山で過ごしたし、それから、両親がジュアン=レ=パンに別荘を持っている女の子と付き合った、信じられないくらいヴァギナを締められるヴェトナム人の子だった、ああ確かに、そんなに不幸なことばかりでもなかったじゃないかぼくの人生は、でも潮の満ち引きについての自分の経験はとても限られている、静かに陸地を覆っていく大量の水の塊を感じるなんて不思議なことだ、
一瞬の脱線+突然出てくる元カノ+『女=ヴァギナ』説+フランクなアジア人差別とウェルベック伝統の4コンボを決めてきたりする。激ヤバで笑ってしまう。
あと、面白いのが、『セロトニン』は宗教とSNSをほとんど完全に削り取っている点だ。こういう話では宗教とSNSは二大頻出カテゴリだが、ウェルベックは意図的にこの二つを外す。主人公は環境科学生命工学学院の卒業生で、こういうやつらにとって宗教は極めてどうでもいいし、SNSは言うまでもないことなのだろう。
最後、『異常中年男性がMacBookAirの画像を1000枚印刷して壁に貼る』というシーンがあり、異常に感動的だ。読むと分かるが、状況としては一切感動的ではない。ないのだが、ウェルベックが本気を出し、こっちの感情をハックしてくる。結果としてやたら感動する。春樹君! 君もノーベル賞欲しいならこういうの書きなよ!
村上春樹を無意味に叩いてしまった。もちろん、ウェルベックにはウェルベックに特有の瑕疵というのもあり、ものすごく静的な文で書くので、あまり激しいアクションができないというものがある。つくりからして、主人公が能動的に何かすると言うことがしにくい文章になっている。彼の小説は、一人称の人間が激しいアクションをしないが、おそらくこういうところがあるのだろう(『ある島の可能性』でも『セロトニン』でも、長距離狙撃用の銃が出てきて、それが使われるのはこういうわけだ)。