むなしいチーズケーキの作り方

日記

サカナクションの『新宝島』を聞くたびに、どこかで会ったような中年女性の顔を思いだし、不吉な予感を覚えたものだった。考えた末、中国の卓球選手『丁寧』の存在に私は行き着いたが、正確を期すなら、実際に脳裏をよぎっていたのは王楠だった。これは私の記憶の話だ。そして今からするのはチーズケーキの作り方だ。

ベイクドチーズケーキの作り方

材料

名称分量備考
クリームチーズ200gセブン&アイ・ホールディングスのやつ一つ分
砂糖90g砂糖くらい測れ
二個多分Mサイズ
生クリーム200cc脂肪分は36%
薄力粉30g測れ
グレープフルーツ一房分潰して果汁だけ取り出す。レモン汁でいい
ビスケット100g型の底が埋められればよろしい
バター40g無塩がよろしい

ハンドミキサーがあるとよろしい。

作り方

  1. 材料を用意する。現代では「小麦粉は使うときに測ればいい」という説は否定されている。できれば小麦粉をふるっておく。ふるいがない場合……。
  2. オーブンの予熱を始める。200度にする。これは温度である。すぐに2.に進む。
  3. ビスケットをビニール袋に入れて砕く。バターを追加投入して600W/20秒あたためてバターを溶かす。バターを揉み込む。2.が3ステップあったことに気がつき、憤る。
  4. ボウルにクリームチーズと砂糖と卵を入れてハンドミキサーで混ぜる。泡立てる必要はない。全体が混ざればよい。
  5. 3.を実行中に材料が飛び散って気分が落ちた場合、元気を出す。
  6. 3.でできたものに生クリームを入れて混ぜる。
  7. 5.でできたものに小麦粉を入れる。馬鹿ほどダマになるが、あなたのせいではない。気泡が気になる場合、ボウルを横からたたいたり、少し持ち上げて落とすとやや取り除ける。ここまでできるなんてお菓子作りが上手ですね。レシピくらい見ずに作れろよ。
  8. 型に2.で作られたものを敷き詰める。その上から6.で作られた液を注ごうとする。
  9. 「こんなシャバシャバなの入れたら絶対漏れるじゃん! 無理無理!」と焦る。ここでオーブンの予熱が終わりさらに焦る。全てをやめてしまいたい気分になる。元気を出す。
  10. 7.で作ったものの上に6.で作ったものを注ぎ、温度が200度のオーブンで20分焼く。
  11. オーブンの温度を160度に下げて30分焼く。オーブンで焼いた直後のチーズケーキは図の様になる。焼けたチーズケーキ
  12. しばらく放置して冷まし、手で触れるようになったら、冷蔵庫に入れる。
  13. 冷蔵庫にチーズケーキを入れたことを忘れる。

むなしさの鑑賞

なぜ我々はチーズケーキを冷蔵庫に入れたことを忘れてしまうのだろうか? 我々の動機付けははっきりしていたはずだ。チーズケーキに対する欲求は存在したはずだ。

もちろん、我々にはそれを証明する手段はないものの、クリームチーズが記載されたレシートが、生地が少し残っているボウルが、我々が確かにチーズケーキを作ろうとしていたことを物語っている。作っているとき、特に手順の8.あたりにおいては、我々は焦燥感とともに、いくぶんか高揚感さえ感じていた。だから、我々はこう問いかけるべきだ。どこで我々はチーズケーキに対する興味を失ったのだろうか? なぜ我々は、もはやチーズケーキに心が動かされないのだろうか?

ここで、横軸が時間を、縦軸がチーズケーキへの興味を表す図表を描いてみよう。そして、自分が思い出せる限りのタイムポイントで点を描こう。それは一つの曲線を示すだろう。それは、最初ゼロから始まり、大きな山を越え、そしてこの忌まわしき忘却へと戻っていく。

こんな図だ。

時間-チーズケーキ曲線

これは我々に懐かしい講義 -- 大学二年生が受けるたぐいの講義 -- を思い起こさせる。

その講義では、我々の心というものはすなわち脳の活動に還元され、脳の活動は脳を構成する神経細胞の活動に還元され、神経の活動は神経がオンかオフかという二値に還元され、その二値は膜電位という一つの物理的な変数に還元される。壇上の博士が言う。

神経がアクティブになると言うことは、膜電位が脱分極することです。 膜電位が十分にあがると、徐々にカリウムチャネルが開いて、神経内の陽イオンが流出します。 結果、アンダーシュートと呼ばれる現象が起こるわけですな。 この後、この神経はさっぱり活動しなくなる期間を経ます。ちょうど私が性交のあとで……

この議論を逆にたどれば、我々は完全な現象の理解にいたる。

つまり、我々の神経にはチーズケーキ神経細胞群、ないしは非-チーズケーキ神経細胞群とでも言うものが存在し、チーズケーキの事に興味を覚えたり、非-興味を覚えたりするときに活動する。

前述のように、この細胞たちは一度活動すると、急激に逆の状態へと移行し、それからしばらくは全くの 無感覚 ( ナム ) に陥る。この神経細胞というミクロなスケールの活動は、やがて脳全体に、そして我々が心というものにまで波及する。

つまり、このチーズケーキ神経細胞群の活動を我々の心の言葉で言えば、チーズケーキに興味を持ち、そして急激に飽き、そして平常時の、チーズケーキのことなどまったく考えない状態に落ちつくと言えよう。まさに前述の図に対する合理的な説明になっている1

ただ、重要なのは、我々がこのチーズケーキ虚脱症状を説明できたことではない。

重要なのは、そしてむなしいのは、これがまさに合理的に説明され、我々の介入可能性がいっさい無いというところだ。我々はチーズケーキを作り冷蔵庫に入れるたびに、チーズケーキの存在を忘却するようにできている。避けられず受け入れるしかないものを運命と呼ぶのなら、我々はチーズケーキに惹かれるたび、チーズケーキを見捨てるように運命づけられている。もし、私がこの原理に抗おうとするのならば、専門家が出てきて言うだろう。でも君にはそんな事はできやしないね。この原理はまさに科学的なんだから。君が自分の気持ちを変えられるって言うのには反対しないけど、これは神経の活動なんだから。いくら君でも、神経の活動はね。

このむなしさが分かるだろうか? 認めざるを得ない原理が自分の行動を規定し、自分がそれを望むにせよ望まぬにせよ、自分がそれをやってしまうという事のむなしさが分かるだろうか? 我々は川を流れるあぶくに過ぎず、いくつかのあぶくは別のあぶくを生み、いくつかはすぐに波の奥に消え去り、またいくつかはぶつかり合い、そして流れ、ひたすら流れ去っていく。これをわびと名付けるのは、我々のむなしさを少しだけ軽くしてくれる。

ところで、このむなしさの原理は、上のような議論ができるものにはほとんど当てはまるようだ。私は最初、別の話をしようとしていた。疫病の話を……。

1

当然これは嘘だ