帰国

日記

日本に帰ってきた。日本での火曜に離陸し、アメリカに火曜日についた。そして、アメリカを日曜日に発ち、月曜日の夜に帰って着た。
会議自体は非常に楽しく、今、生物学、特にゲノム科学の業界において何が行われているか、そして、彼らがどのようなところまで分かってくれるかを知ることができた。具体的には、ゲノミクスという分野では、まだGWASが広く使われているということ、連鎖不均衡や、missing heritability は認知されていて、GWASを捨てるというよりは、困難を取り除くことで、まだ使えるものにしようとしたいらしかった。おそらく、見たマンハッタンプロットの数は50枚は行っていると思う。

一方で、バイオインフォマティクスの分野は、ちゃんとやることを選ばなければいけないと感じる。最近は完全にHypeとなっている、DLに代表される巨大な統計モデルを大量のデータから学習させる風潮は、面白いが、それで何を解決するのかを考えるべきだ。というのも、科学というのは、新たな発見に価値が置かれていて、今まで98%できていたものを99%できるようになっても、あまり面白くは無いからだ。これには、再現性等々、様々な問題があることは認めるが……。
また、予測は確証が求められるというところにも気を配っておくべきで、「タンパク質のこれこれを予測しました」「ゲノム内のこのような機能を持つ位置を予測しました」等の研究は、既知の情報が手に入るのはもちろんのこと、新しい予測がなされ、そしてそれが本当だとわかることが重要になる。これはすなわち、ある意味で、バイオインフォマティシャンは"手を汚す"必要があるということだが、しょうがないことだと思う。
一方で、進化学や、純粋な配列解析はそのような大変さがあまり無いので、修士の学生がやるぶんにはよい分野だと思う。

さて、マンハッタン市街について書こう。我が大学の規定で、出張の後は、出張日数の半分の日数、その近辺で『見聞を広める』ことが許されている。
私たちは、今回、5日間の出張の後、1日の観光を行なった。宿泊場所としては、Airbnbで予約した、マンハッタンの北、147ストリートあたりの集合住宅を使った。
ここがかなりひどい場所だった。集合住宅なのに、エントランスには警備服を着た人が待ち構えていて、我々は通ることを許されなかった。彼女は「泊まるなら、その場所にすんでいる人を呼び出しなさい」と言った。私たちは、部屋にいるはずの女性を呼んだ。
 鍵を渡してくれるはずの女性は、一向に現れず、着た時には、目の周りをひどく黒く縁取り(それが化粧だったのかどうか、私は知らない)、酒のにおいをさせていた。自分は家族について、少し問題を抱えていて、今日はそちらがわに泊まるから、呼び出しても無駄と、彼女は言った。その間、その黒人女性は、神経質にエレベーターのボタンを押した。
 24階の薄暗い部屋は、尿の匂いがした。ボロボロのチェアに、黒くソファ、そしてひどく汚い机があった。部屋の壁にかかっている巨大な鏡の下には、ずっと開かれていないだろう、大判の聖書があった。鏡の向こうには、カセットテープ(マイルズ・デイビスやアバだった)が積まれていたが、部屋のどこにも、再生機はなかった。電気は、小さな電球が、部屋に一つと、キッチンの蛍光灯、そして、トイレの便器に備え付けられた裸電球だけだった。
 部屋の隅には、背の高い椅子と、小さな化粧台があった。台の上の化粧水は黄色く濁っていて、刃こぼれしたカミソリがあった。床には、縮れた髪の毛が、数ミリの塊になって散らばっていた。
 インターネット回線は通じておらず、テラスにでなければ、通信手段がなかった。テラスの床には、鉢が置かれていたが、土ではなく、大量のタバコの吸い殻が入っている。
 冷蔵庫には、いつのものかわからない食事が、そのままで冷やされていた。キッチンのコンロには油のポットがあり、ハリボーグミの大袋が、口を開けて座っていた。シンクには洗い物が置かれていた。
 そして、ベッドのシーツには血の染みがついていた。
 間違いなく、彼女は ここに住んでいた。それはするべきでは無いことだった。私たちは、彼女と価格の話を少しした。そして、彼女は帰って行った。
 それから、私たちは、部屋の鍵をしっかりとしめて、少しだけ寝た。