コロナ時代の日記

日記

コロナの日々は続く。私はこのブログとは別に、三月から日記を書き続けているが、これは私の精神状態についてかなりの事を教えてくれる。具体的には、私はかなり追い詰められている。というのも、現在、本邦の言論環境は極めて苦しい状態におかれていると私は思うからだ。

人々は罵り合い、片側から始まったかなりまっとうなデモ活動は、保守派にとっては 包括政党 ( ビッグ・テント ) に対する無意味な抗議のレベルにまで貶められている1。毎晩のように、不安が不安を増長させている。PCR検査も、何を目的にするか(トータルの死者を減らすことなのか、現在の感染の拡大を調査することなのか、それとも疑わしい人を全数検査することによる封じ込めなのか)コンセンサスがとれないまま無意味な議論が続く。不祥事を立て続けに起こす事で、以前の不祥事をうやむやにできるという謎メソッドの爆誕により、官僚の命を燃料に国家が動くという状態にまでたどり着いている。

一方で、『落ち着いている』人たちは、既にアフターコロナという言葉をもてあそび、とにかく、これが終わった後の新しい日常とか、もはや戻ってこない日常への憧憬とか、まあ物事を洗練させている。私はこの手の議論に付き合う気はない。彼らは東日本大震災のときも同じ事をいい、そして今では『直ちに問題ない水』がどうなっているか、興味を持ちすらしない。何戸の家が奪われ、そして家の崩壊によって、どれだけの老人たちが単に棄てられたかも知らない。彼らにとって、災害はダルい日常を変えてくれるヤツで、それに言及すれば時流に乗れ、ついでに過去に対する郷愁も手に入る、一石三鳥(この比喩はひどく不適切だ。私たちが投げているのはではない)のコンテンツだ。国際的な巨大都市が競争をする社会からどうの。彼らは弱者がどうのと言いつつ、このコロナ禍で地方の高校生から学習機会が剥奪されたことを気にかけず、都市部と地方でますます格差が開いていくことに気がつかない。

ひょっとすると、確かに、2011年の時には、まだSNSが盛んでなかったために見られなかった要素が、単に暴露されたに過ぎないのかもしれない。人間は冷酷であるに加えてばかでもあり、Twitterの140字に制限されていようといまいと愚かしかったのかもしれない。もしくは、私が思うように、本当に人々の言論は単発的で、情緒的で、発散的で、そして劇的になっているのかもしれない。

何にせよ、私はそれらの議論に与することはない。

最後に二つ注意しておきたいが、私はこの潮流がずっと続くとは思っていないし、Twitterに代表される感情のはけ口系メディアが人々を分断しているとも思っていない。人々はむしろ、より密に凝集されていく。そして -- ちょうど、空気を圧縮すると圧力と温度が上がるように -- 人々の熱と圧はあがり、そしてどこかで振る舞いを変える。

おそらく、コロナの後、現在不安に駆られ、「東京は2週間前のNY」と言っている人や、「アフターコロナ・ウィズコロナ」と言っている人たちが、自分たちの予言を見直すことはないだろう。彼らにとってはもう終わったことだからだ。そのとき、彼らはまた新しいおもちゃを探し、それをあれこれ鑑賞することに耽溺するだろう。

しかし、彼らの予言が当たるにせよ当たらないにせよ、新しい日常とやらが来るにせよ来ないにせよ、子供たち、大人たち、老人たち、私たちはとにかくその場を生きるしかない。16歳の少年はその場にある全てを使って青春を生きるものだ。私はその日常をどうにかしてもてあそび、あげつらい、そして読み手を徹底的に茶化し続けるだけだ。

私は新しい日常に対して、どのような準備もしていない。ジョン・ロールズは自著『正義論』の中で「人生やっぱり計画立てといた方がいいよそっちのほうが盛り上がるよ」と述べた。しかし、これは間違っている。我々に起こることには、準備できるものと準備できないものがあり、そして準備できないものに対しては、目を開いているしかない。


1

包括政党に対するイデオロギー的な批判というのは、やや非文めいたところがある。