自炊するな。ガチでやめろ。人生終わる。

引越しをするついでに自炊――家の本の電子書籍化――を行った。以下はその時の作業メモ、および深い後悔についての記録である。短くまとめると、絶対に自炊はしてはいけない。自炊をすると最悪死ぬ。


具体的な自炊の方法が知りたい方はすぐさましかるべき場所までスクロールすればよい。そうやってインスタントに情報を知っていればいいんだ! ずっとそうしていればいい! だが覚えておけ、Q. そうやって得た知識が何になるというんだ!

A. 知識になる


前書き

引越しをした。私は引越しを安上がりにするタイプで、おおむね宅急便 + 赤帽 + 自家用車による庶民的な引越しを行うことが多い。だが引越しの詳細についてはまた今度にしよう。

引越しをするついでに家にある本を大雑把に1. 重要な本、2. 持っておく本、3. くそどうでもいい本 の三つに分けた。

各カテゴリには、例えば次のようなものが含まれる。

まず、第三のカテゴリに含まれるものはときめかないので捨てた。

もちろん第三のカテゴリの本を捨てるのはよくなかった。第一に、自分の人生に私はそれほどときめいていないということがある。第二に、その時にくそどうでもいいと思っても、その後、くそどうでもよくないと知ることが往々にしてあるからだ。だがこんなことはくそどうでもいいことだ。

次に、第一のカテゴリに含まれる本を段ボールに詰めた。これはやがて引越しによって新居に運ばれることになる。

最後に、第二のカテゴリに入ったものを電子化することにした。電子化! SFである。とある宗教では、生まれ落ちた人の双肩にはちっちゃな書記官が二人載ると言われている。そして、その人のした善行を一方が書き留め、悪行をもう一方が書き留める。そして死んだとき、その二種類の書類が天秤に置かれる。その天秤がどちらに傾くかで、その人の運命が決まるというわけだ。肩にちっちゃい書記官でも乗っけてんのかい! というわけである。もちろん、これは本文には何の関係もない。


本を自炊する

概要

本を電子化するには、大雑把に言って、次の工程を踏めばよい。

  1. 本のページをばらばらにする
  2. ばらばらにしたページをスキャンする

もちろん、現代のテクノロジーでは、オーバーヘッドスキャナ等、破壊的な処理を経ずとも自炊が可能な機械がある。しかし、スキャンの質・ソフトウェア的に問題があったので、今回は本を破壊する方法を用いる。また、スキャンした本は廃棄するので、破壊的に処理しても特に問題はなかった。というか、どちらにせよ問題があった。

ページをばらばらにする工程ではいくつかのやり方があり、背表紙を暖めて糊を溶かす、裁断機を買う、カッターナイフで分解するなどの方法がある。ここではカッターナイフを使った。 ただし、これは完全なる間違いだった。読者においては裁断機を使うことを――いや、自炊をしないことをおすすめする。

必要なもの

以下が今後の処理に必要なものだ。筆者が購入したもののアマゾンリンクを張っておく。断っておくが、下のリンクから何を購入しようが、私には一切の金銭的な便益は生じない。マジでない。Take it freeである。

物品名商品理由リンク
カッターナイフSK11 セラミックブレード刃 カッター S SF-1本の背を切るのに必要https://www.amazon.co.jp/dp/B00MFIQDKG
カッターマットPLUS(プラス) カッターマット 両面 A4 230×320mm グリーン 48-573『覚悟』でも代用可能https://www.amazon.co.jp/dp/B0029M485A
クランプSK11 Cクランプ 最大口幅100mm本を切る際に抑えるhttps://www.amazon.co.jp/dp/B003EI9XRG
スキャナScanSnap iX1300写真記憶でも代用可能https://www.amazon.co.jp/dp/B09R7GK5Z9
グローブエステー 耐切創手袋 モデルローブ No.700 Lサイズカッターで自傷しないために必要https://www.amazon.co.jp/dp/B00VJ3VSIA

もちろん、自傷行為がどうしてもしたい場合は、グローブを無理にはめろとは言わないが、グローブをはめるのもなかなか自傷的な行為であることは付言しておこう。端的に言って蒸れる。ソフト自傷である。厳密な言葉遣いをすればスチーム自傷だ。

詳細な工程

0. 事前準備

自炊は極めて時間がかかる。一冊につき、文庫本だと1分程度、ハードカバーだと3分くらいはかかる。また、スキマ時間にどうこうできる作業であるべきでもない。

というのも、書物は神聖なもので、敬意を払わなければならないからだ。書籍とは文明が自己を保存する最終工程であり、あなたは不可逆的にそれを損壊し、単なるビット列――それ自体では復元ができない脆弱なもの――に置き換えようとしている。その行為をスキマ時間に行うことは不道徳なことだ。特に、この作業が内在的に持つ反-文明的な性質を考えると、スキマ時間にやることを私は勧めない。

(ああ、言語はそれ自体ではインクの染みではないかと線文字Aを持ち出す愚か者がいる。十分に多くのビット列を集積すればそこから意味が浮かび上がると統計的機械学習を持ち出す学者がいる。そんなことはない。もうすぐ絶滅する紙の書物はそのようにはできていない)

ちょっと意味不明になったが、要するに自炊をすると決めたら、それ専用の机を用意することを勧める。そこにまずカッターマットとクランプ、およびカッターナイフを置くこと。また、ページをばらした本を一時的に置いておくためのスペースを用意しておくこと。これはうっかり蹴飛ばしたりしないスペースを選ぶこと。

1. 本のページをばらばらにする

カッターナイフを用いてページをばらばらにするためには、背表紙を落とす必要がある。 ただ、現代の文庫やハードカバーは概ね厚い本が多く、カッターナイフでそのまま背表紙を落とすのが極めて難しい。

そのため、まず、本を適当なページ(紙が薄ければ80ページくらい、厚ければ50ページくらい)ごとに裁断する必要がある。これは魚を三枚におろすのと同じ要領でやればいい。

つまり、本の80ページあたりを開いて、背にカッターナイフを当てて何回か(非力なら何十回か)切ることを繰り返すと、本を分割することができる。

その後、こうやって80ページ程度のチャンクになった本の背を落としていく。具体的には、クランプで本をカッターマットの上に固定して、糊の部分をカッターナイフで落とせばよい。ちょうど、豚ロースの脂身の部分を落とすように。

これを本の冊数だけ行う。

私が食材の比喩を二回用いたのは偶然ではない。この作業を続けていくと、だんだん感覚が麻痺してくる。

最初は私も引越しの前の雑誌を見るように、ちょっと中身を見たりした。車輪の下、シッダールタ、デミアン、春の嵐、荒野のおおかみ……ああ、こんなに小さい文字を読んでいた時期もあった。茶色く変色した懐かしいページを繰る。ヘッセの本から何かを得ていた時期もあった。そこには青年の心が打ち砕かれるときの小さな音――その音は必ず小さい――があった。

それに、私は80ページごとに切るときも、背を落とすときも、本の上下を気にして切っていた。つまり、私は切るとき、その切られる本の文字が読めるようにしていた。だから、最初のころ、私は自分がどんな本を切るかわかっていた。それらは私に読まれた本であって――内容とは言わないまでも――なにがしかの記憶と結びついていた。

しかし、少しずつ、私は無感覚に陥っていった。切るべき本はまだまだあり、いちいち読んでなどはいられなかった。私はそれほど多くの蔵書があったわけではない。だが、引越しまでの時間は蔵書量に比べて足りなかった。特に The cell が本当に厳しかった。私はそれを二十四個のパーツに分解する必要があった。バカが。

そして、私は気にしなくなっていった。本を適当に置いて、適当に切って、足元に積み上げていった。私の脳裏によぎったのは What Remains of Edith Finchというゲームの一つのパートだった。

そのパートは、ある心を病んだ男が一人で魚の解体工場で働き続ける場面で構成されていた。彼は魚を解体する。ベルトコンベアで流れてくる魚の頭を裁断機で落として、次の工程に流していく。次の魚を裁断機に入れる。

次の魚。次の魚。次の魚。毎日それが続く。やがて、彼は別の光景をそこに幻視する。彼はある選ばれし男で、ある王国に行かなければならない。彼は冒険を行う。魚を裁断機に入れて頭を落として次の工程に流す。

彼は河を遡上する。魚の王国にたどり着かなければ。様々な選択肢を選ぶ。太陽はまぶしく輝いている。魚の頭を落とす。彼は国王に謁見する。魚の王国は彼を温かく歓迎してくれる。彼の戴冠式が始まる。次の魚を持つ。王様が冠を持って待っている。戴冠式だ。彼は跪く。魚の頭を入れる。裁断機の刃が落ちる。

本はもはや色のついた紙でしかなく、そこに私はもはやほとんど感情的なものを見出すことはできなくなっていった。厚い本は単に厚い本でしかなかった。『イスラームから見た「世界史」』という本は最悪だった。何冊かの本は面倒でそのまま捨てた。それらの本はそれほど好きではない本だということにした。私は何をやっているんだろう?

だがもう正直言ってどうでもよかった。読書が私を救ったことは一度たりともなかったし、知識が私を救ったこともなかった。私に金銭と地位を与えているのは17歳だか18歳だかの2月、ほんの少し運がよかったというたんにそれだけのことだった。

その間も、私は通常の社会生活を営んでいた。友人と喋ったり、ファミレスで暇をつぶしたり、簡単な勉強をしたりしていた。そして毎晩、もはや何の楽しみも見いだせない作業をしていた。次の紙を裁く。次の紙を裁く。そして終わりがやってくる。

2. スキャンを行う

私は ScanSnap iX1300 を使った。これはPFUが販売している比較的高性能なスキャナだ。 ソフトウェアの挙動がかなり悪質で、ほとんどマルウェアみたいな挙動をするし、私の好みでは全くないが、それでも必要十分な機能を満たしていた。

使い方は極めて簡単だ。単に紙の束を入れてボタンを押すだけだ。そして次の束を取って、適当な感覚で『スキャン終了』のボタンを押せばよい。

ごくまれに紙が詰まるが、最初からやりなおせばよい。紙の束を40枚程度入れて、モノクロモードでスキャンを行うだけだ。文庫本なら即座にスキャンが終了する。Optical Character Reading(OCR)も標準で搭載されているので、やろうと思えば文字起こしまで行ってくれる。

3. ファイル名を適切に変換する

ScanSnapはデフォルトで、最初のページに書かれている文字のいくつかを拾って、タイトルとして登録する。 これは10パーセント程度うまくいくが、90パーセント程度はうまくいかない。この世の編集者たちがバカみたいに凝った表紙を作るからだ。呪わしい表紙ども。女の顔をでかく印刷すると売れるんだろうな。マジで死んだほうがいいよ。

だから、本当は、これらのタイトルを登録して、後々で見返すことを簡単にしておくことが強く勧められる。Write-only-memory(書き込みのみのメモリ)に用途はない。知識は再生できる必要があり、そのためには何がどこにあるか知っておく必要がある。少なくともいまのところ、まだ。

しかし、私はもはや疲れすぎていたし、本への愛着もほとんどなくなっていた。 私は 2023_04_02_10.pdf のようなファイル名のままそれらのPDFをうっちゃっておいた。正直言ってどうでもよかった。

スキャンが終わった後のゴミを縛って、土曜日の朝に出した。

自炊したあとに何が起こったのか

最初の感想は「無意味だった」という漠然とした諦観だった。

おそらくあれらの本のうち、かなりの部分を私は自分の意思で買った(自分の意思によらず買った本というのもある)。すぐに捨てなかったということは、それなりに面白かったんだろうと思う。数学書はそれなりの熱意をもって読んでいたし、それぞれについてノートを作って少しずつ写経をしていた記憶もある。

それに、確かに、自炊をする前は、「自炊したら全文検索もじゃんじゃんできちゃうし今まで読んだ本が横断検索できちゃうよ すげーよ なんかもう……すげーよ 脳が拡大しちゃうよ」と思っていた。カットアップとかめちゃくちゃ使えるし、もう現代文学よ現代文学。切り開いちゃうからね、とか思っていた。実質『青い脂』である。

しかし、いまとなっては、もはやそれらはなんだか正直どうでもいい。言葉を尽くすのもどうでもいい気がする。考えてみてほしいが、マジレスすると、なんか薄汚いPDFをHDDに後生大事に持っておくのは端的に言って怖い。

よく考えてみてほしい、友人がいるとしよう。彼は日ごろから『読書家』だと豪語しており――こういうこと言うやつは殺したいほどムカつくので、冷凍庫がまあパンパンなのだが、それはそれとして――そういうからには読書家なのだろう。

そして彼の部屋に招かれたとしよう。男の人の部屋に入るのって初めて。ガチャ。いや本棚ないじゃん。

そうすると、彼がこちらをじっと見つめている。いや、本棚はあるんだよ。彼がパソコンを立ち上げる。HDDが回るかすかな音がする。彼がエクスプローラーを開く。そこには無数のPDFが並んでいる。20230121_034.pdfみたいなやつだ。彼がこちらを見ている。目がバキバキだ。

自由に見ていいよ

これは死ぬなとあなたは覚悟する。おおむね外れてはいない。


結局、自炊した本のうちで開いたものは数パーセントにすぎないだろう。もちろん、電子化しなかったときにどうだったかを比べることは――人生が一回しかないので――原理的にできないから、厳密な比較はできない。ただ、私はすでにいくつかの本について、再び買い戻していることを述べておく。

また、検索機能については、現状のままでは物理でおいておいた方がよかっただろう。というのも、文章を検索する際は、次の二つの条件が課される。

したがって、OCRに基づく文字起こしに対して、完全一致で検索をかけることは、ほとんど助けにならない。むしろ、心に残った部分のページを折っておくことや、メモを取っておくことの方がずっと役に立つ。

最後に、部屋の『文明度』が下がることを付言しておく。あまり知られていない事実だが、人生のパラメタの一つに『文明度』というものがある。これはその人が触れる文明のレベルを大雑把に表しているものだ。

そして、部屋に本棚がないと、文明度はかなり下がる。文明度を評価するアルゴリズムはPDFの中身を読めないので――知っての通り、WindowsのHDDはおおむねBitLockerにより暗号化されている――自炊をすればするほど文明度は下がる。

これは本だけによって決まるものではない。他の文明的な行いをすることでも蓄積する。例えば、YouTubeを見ると文明度は高まる。明らかに本を読んでいない家庭の文明度が閾値を下回らないのはこういうわけだ。YouTubeも立派な文明であり、その要素を分解して考えれば、本よりもずっと文明的だ。

しかし、読書をする男がYouTubeを見るだろうか? 見るわけがない。疑うなら私が証明して見せよう。これが現在のYouTubeの急上昇コンテンツである。

  1. にこJPのドライブがそりゃ面白くなるに決まってるよなっwwwww(中町純平のマジ酔ってるわ!!)
  2. 限界です。(HikakinTV)
  3. 【ご報告】ザカオ、子どもが産まれていました!(Fischer's-フィッシャーズ-)
  4. 『崩壊:スターレイル』2024スターレイルLIVE(崩壊:スターレイル)
  5. 深夜のハワイでテンションバグ起きて過去一笑った(中町綾チャンネル)

そりゃ見るわけがないよなっwwww だが勘違いしている奴が絶対にいるので念押ししておくが、人生の楽しさとしては、YouTubeの急上昇を楽しめる人間の方が圧倒的に人生を楽しんでいる。過去一笑えるやつがつまんないわけないだろ。何? 本? キモ まじできしょいて笑である。老子が言うように、平均として、知識は人生を損壊する方に作用する。

そして、『文明度』がある一定値以下になると、強制的に蛮族化というイベントが発生する。これはあなたの文明度がついに底をついたということだ。具体的には手塚治虫『ブッダ』のナラダッタ的な状況になる。

文明度が下がりすぎ、あなたは不可避的に人語を介さぬ獣になる。食べる肉は生であり、それを手を使って食べるようになる。火を極端に怖がるようになり、部屋の隅に背中をつけて寝るようになる。社会生活は破綻し、電話の取り方すら理解することはできない。それは震える恐るべき小石に似ている。やがて飢えに耐え切れなくなって道路に飛び出し、スーパーにうわごとを言いながら入店し、手づかみで果物をむさぼる。警察が呼ばれあなたの身柄を確保する。身元引受人は来るが引き取るのを拒む。蛇口のない病院に閉じ込められ、そしてもはや誰とも意思を交わすことができなくなって孤独に老いていって死ぬ。

だから自炊はしないほうがいい。