この世が憎いなら旅行なんてするな

これは何

9月の中頃、秋田に旅行に行った。成瀬のダムと仁賀保高原の風力発電所を見学しに行った。今からその旅行記を書く。理由はあとで書く。


鉄のカーテンとは、カーテンでもなければ、鉄製でもなく、理髪店の看板じみて赤と白のペンキを塗っただけの木製の柵である。

『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』

ガブリエル・ガルシア=マルケス著,木村榮一訳,新潮社,2018, p11


トヨタレンタカーは奇妙だった。秋田空港のエントランスにあったカウンターには誰もいなかった。白い電話が一つ置いてあるだけだ。私と同行者はそれを眺めた。同行者が私に取れよと言った。

私は受話器を持ち上げた。だが、どこに電話すればいいのだろう?――私は『マトリックス(1999)』のことを思い出した。電話が自動的にどこかにかかって、すぐに誰かが取り上げる。

間。

「一階堂ですが」

間。

電話の向こうで、誰かが何かを言って、電話を切った。私は受話器を置いた。空港のロビーは何かのバカみたいな意味不明のジャズアレンジが流れていた。フォスター・ザ・ピープルだ、と同行者が言った。同級生を撃ち殺したオタクの曲だ。私はバカみたいに怖くなってきた。

しばらくすると、ロビーの自動ドアが開いて、若い女性が一人入ってきた。彼女は私たちを見た。彼女はマスクを取り出してつけて、さらに私たちを見た。私は名前を名乗った。彼女は何も言わずに踵を返した。骨折の危険性がある木製の犬が我々を見ていた。

全体的にバカみたいに怖い空港だった。

木製の犬の看板の写真。骨折の危険性があるから注意してくれと書いてある


旅行記は――ジャンルだ。洋の東西、古今を問わず、著名な旅行記は枚挙にいとまがない。最も素晴らしい旅行記は松尾芭蕉『奥の細道』だ。思想の面から言っても、詩と文学の融合という面から言っても、近現代において書かれた旅行記の中で圧巻の出来だ。

加えて言えば、芭蕉が東北に向かう途中、くそ寒い山のなんか意味不明な関所でバカみたいに足止めを喰らって、これもうアホだろ、曾良、なんか面白いこと言えよカス、エヴァに乗れ、乗らないなら帰れ、という時に詠んだ句

蚤虱馬の尿する枕もと

という傑作も載っている。

冗談はさておき、全ての優れた旅行記に共通する性質として、それが編集されているということがある。『奥の細道』は実際の旅程とは異なる時系列に沿って書かれている。ドストエフスキー『夏に記す』もそうだし、『土佐日記』、『見えない都市』、『ガリバー旅行記』、『悲しき熱帯』といった傑作達も編集の力によって旅行記を文学の域にいざなっている。彼らは現実と虚構を掘り起こす一つのピッケルとして紀行というツールを使う。それは語るべきことがない我々の人生を語るべきものに調度していく過程でもある。


 姫カットの店員が書類をチェックして、私たちを眺めた。彼女には表情というものがなかった。それからルーミーの鍵をカウンターに置いた。しばらくの沈黙ののち、私は鍵を取った。

 ルーミーもまた奇妙な車だった。ハンドルが軽すぎた。ウィンカーのパドルはしつこく定位置に戻ってきた。アクセルの遊びは大きすぎた。ルーミーのターゲット層を考えると、全体的に女性蔑視的な車だった(車にも女性蔑視的なものと、そうでないものがある)。


友人が言った。南へ行くんだ。気温は三十度くらいあった。蒸し暑い秋田の夏――日本の夏に逃げ場はない。みんながいらついてくたばっていく。

 だが、今更そんなことを言ってどうなる? みんな現実にいらついてくたばっていく。何人かはそこから逃げようと必死になっている。カネが蜘蛛の糸だと思っている奴もいる。北海道なら涼しいと思っている奴もいる。愛情にすべてを賭けて単勝の1.5倍を獲得しようとしている奴もいる。

でもそいつらも全員イラつきながらくたばっていく。蒸し暑くて青臭いべとべとした喧噪の中で。私たちの愚かで救いようがない感覚器官たち。こんなことは今更言うまでもない。クソほど分かっていることだ。人間は旅に出ることはできる。しかし逃げることはできない。

 お前は腹が減っているんだ、と同行者が言う。高速を降りる。近場の定食屋に入って昼食をとる。二人ともそばを頼んだ。老人たちが黙って食事をしていた。私たちが店を出るとき、彼らが一斉に話し始めるのが分かった。

 友人が道の駅に行ってくれと言ったので、私は最寄りの道の駅に寄った。彼はバカみたいな帽子を買った。

 こんな帽子だ。

帽子の画像。キャップの表にThe Akita Dogと書いてある


 これはなんだか旅行記っぽくない。これからは敬体で書くことにする。そっちの方が旅行記っぽいからだ。隙あらばオフラインで会おうとしてくる一人旅行が好きな男子大学二年生『ゆうと』みたいな感じで書くことにする。カメラを持って一人で旅行するのが好き。旅先見つけたきらっとしたものについて書きたいです。チンチンが22センチです。殺す。


 南に行きました! 横手市を過ぎました! 車が早かったです!

 バカが。文体を戻す。成瀬ダムに近づく。作業員宿舎が立ち並び、トラックがその体躯をじっと横たえて我々を見送る。エアコンを切って窓を開ける。空は秋になっていたが、空気はまだ夏の木のにおいがした。Tシャツの下が少し汗ばむ。こういうところで全裸になったら気持ちいだろうな、と友人が言う。バカ野郎と私はガチギレしてハンドルを叩いた。クラクションも鳴らした。実際はうまく押せずに、ペッという音が出た。みんなに見られそうっていうのがいいんだろ。何も分かってないな、死ね、カス、バカ、服は脱ぎたいから脱ぐの。私はホリエモンのことが人間的に好きだ。

 成瀬ダムは秋田の山奥に作られつつある巨大なダムだ。詳細については 公式サイトを参考にしてほしい。ゼネコンが莫大な金銭を投入して地形を変えようとしている。渓谷を切り開き、土砂を流し込み、水をせき止め、木々を沈める。作業の一部は遠隔操作と自動運転によって代替されつつある。それは圧倒的なことで、善悪を超越している。ビーバーが川をせき止め、蟻が塚を作り、そして微細な生き物たちが岩を柔らかな大地へと変えていく。人類は地球を汚していく末席に座り、そのしんがりとしての役割を立派に果たしている。

 夢仙人トンネルの手前で右折して、展望台に車を停める。我々のほかには誰もいない。日差しが強い。遠くの方に何台かのトラックが通っている。同行者は双眼鏡を取り出して、そこに誰も載っていないことを告げた。水に沈むべき場所に消火栓のボックスが何も言わずに座っている。セメントと砂礫を混ぜ合わせる機械たちが長い腕を伸ばして砂をつかむ。まるで月の文明が漂着して、必死に彼らの懐かしい風景を作り直しているように見えた。

ダムの写真。コンクリートと砂利を合わせる施設が映っている


 ダムに掲げられているパネルを読んで成瀬ダムについての知識を仕入れる。おそらく、これからの人生において一度も使うことのない記憶になるだろう。だからどうしたというんだ? 人生で重要なことは――重要なのだから――とりたてて言うまでもない。受精卵からいい感じに発生した。食べ物を食べた。何回かセックスでもした。そして死んだ。我々の人生は、むしろ、一度も使うことがなく、おそらく地獄の河を渡るときに最初に放り投げてしまうゴミによって特徴づけられている。より正確に言えば、それらの取るに足らない泡に何とか穴をあけて糸を通して、エピソードをストーリーにすることによって成り立っている。これは私が言ったことではなく、アリストテレス『詩学』に書いてあったことだ。

 駐車場に黒い軽自動車が停まる。壮年の夫婦が出てくる。彼らはダムの写真を撮って、しばらく何か二人で話す。私と目が合う。どうも、とか、そういう適当なことを言う。彼らは私たちの写真を撮ってくれる。彼らの身の上を少し聞く。彼女たちは(こういう時、夫が話すことはまれだ)十年くらい前に横手市に引っ越してきて、季節ごとにダムの様子を見に来るらしい。ある種の息子のようなものですね、と私は言った。彼らはその通りだと同意した。勝手に育つところが特に似ていると言った。

 上流にあるもう一つの観測地にも行った方がいいと彼らは勧めた。我々は感謝をして彼らを見送った。そしてもう一つの観測地に行った。そこにはまた別の夫婦がいた。彼らは少し下にもう一つの観測地があるから行った方がいいと教えてくれた。我々はちょっと狂いそうになりました。いかがでしたか。

 同行者は特に何も言わずにダムを見ていた。こいつ、もしかして死ぬつもりなのかな、と私は考えた。土建屋に迷惑がかかるからやめろといった。彼は何も言わずに運転席に入った。


 旅行の効用は多岐にわたる。まず自殺ができる。次いで、宿泊施設と飲食店その他すべての施設で資本主義の確かな拍動を感じることができる。消費者の立場ではなく、魅力的な土地という資本を手にした施設が、より強靭かつ魅力的な施設を開発し、さらに魅力的になっている姿を観察できるという点でだ。資本は新たな資本を産み、それを労働によって超過することは、シエルバ・マリアと無限の葡萄の戦いに似ている(彼女は死によってそれに勝つのだが)。まあ話がそれた。

 旅行によってストレスから解消されるというやつもいる。観光名所や景勝地を見るのを期待している奴もいる。地元の食事を楽しみにしている奴もいる。温泉だってある。友人と深夜まで男性器の伸縮率について議論することもできる。私もこれらのことを認める。実際に楽しんだことすらある。男性器の話もだ。

 同行者は全体的に世の中にうんざりしていた。本人は少なくともそういっていた。毎週のようにインターフォンを鳴らすごろつきにうんざりしていたし、くそしょうもない仕事にもうんざりしていた。衣類を選ぶことにうんざりし、新しいだけで意味のない知識が増えるのにもうんざりしていたし、食事を作るのにもうんざりしていたし、インターネットの終末論者たちにもうんざりしていた。

 少なくとも、我々の乗っている車にはインターフォンはなく、仕事もない、食事を作ることもなければインターネットを見ることもない。洗濯物も旅行中はサスペンドされていた。そう考えれば旅行はいいことのように思える。彼は逃げるべき場所からうまく逃げたように見える!

 しかし、忘れていたのは、旅行の世界は全てが誇張された世界であるということだった。狭い自室はホテルの一室になり、風呂は温泉になり、ビルはタワーになり、神社は金に磨かれ、そして食事はA5の牛になる。あらゆるものが程度を増す。それによって、我々の不満足だった点は――注意するが、程度が弱いことによって引き起こされていた不満足さは――満たされる。鶏肉ばかりを食っている者は牛肉のうまさに満足する。そういうことだ。

 だから、もし世界の原則的な部分に耐えられないのなら、旅行にも耐えられないということになる。むしろそれは悪夢に近い。


 私たちは西に向かう。海の方に行く。二時間くらいの旅程だ。カーナビがおそらく最短の経路を教えてくれる(もしそうでなくとも、我々に何ができるだろう)。運転を同行者にまかせる。彼は地元のラジオをつける。しょうもないアイドルがしょうもないラジオを流す。ライブの前のトイレがどう、みたいなしょうもない意味不明の話だ。誰かの歌うキリンジのカバーが流れた。この曲は二億回くらいカバーされていて、もはや基礎的な冗談のようにすら聞こえた(布団が吹っ飛んだ、のような)。

グーグルマップにダムの写真がいくつか上がっていた、と彼がつぶやいた。見ないほうがよかったな、と続ける。私たちは高速を降りて下道を走っている。電柱と畑が続いている。私は極度に差別的で下品な冗談を言って彼の気分を上げた。

山と田畑の風景


 曲がりくねった道を越えて、もう一度水田地帯に入る。雪を防ぐための柵が道路の片側に走っている。細い道が続いている。時刻はもう三時を回っている。我々の前には一台の自転車がゆっくり進んでいく。おそらく年老いた男性だろう。道路の中央で、歩くくらいの速さで進んでいく。荷台にはビニールひもの残骸が少しだけ残って風に揺れている。

 同行者は明らかにいらついていた。彼は何度かクラクションを鳴らそうとして、そのたびに大きくため息をついた。道路はどこまでもまっすぐ続いていた。彼はアクセルから足を離した。それでも自転車についていけるくらいだった。

 彼はハンドルから手を放して、ペットボトルの水を飲んだ。長く静かなため息をついた。前を走る自転車のタイヤにあまり空気が入っていないのが分かった。わかったところでどうしようもない。老人はライオンズクラブかなんかの紺色のキャップを被っていた。グレーのよくわからん上着を着ていた。

 五分間くらい彼は耐えていた。クラクションを鳴らせ、と私は彼に言った。彼は深く息を吸っては吐いていた。車を停めろと私は言った。彼はドライブレコーダーに手をかけて、電源を切った。ラジオを切った。私はもう一度警告した。

「車を停めろ」

 彼はハンドルを強く握りこんだ。少しだけブレーキを踏む。自転車との距離が離れる。時速五十キロ出せば死亡率は八十パーセントを超える、と彼がつぶやいた。

 車を停めろ、と私は言った。ルーミーのサイドブレーキは足踏み式で手が出せなかった。彼は自転車を見つめていた。そしてハザードのボタンを押した。車を停めて、エンジンのスイッチを切った。車の計器がぎらついた光を失った。

「パーキングブレーキを踏め」

 彼はぎっとパーキングブレーキを入れた。そしてステアリングに額をつけた。そのまましばらくじっとしていた。遠くで乾いた雷が鳴るのが聞こえた。誰も周りにはいなかった。遠くの山が我々のことをじっと眺めていた。二倍遠くのものは二倍の青さをしていた。

 老人の自転車が遠ざかっていった。視界の遠くに消えた。運転を代わろうかと彼に申し出たが、彼は断った。もう大丈夫だといった。しっかりしたハンドルさばきで車を進めた。

道の写真。右側に雪を防ぐためのひさしがついている


 仁賀保市に入る。ところどころ崖が崩れた道を進んでいく。風車がぽつぽつと立ち並んでいる。牧場を抜けて風力発電所の展望台に着く。私たちは駐車場に車を停める。我々のほかには誰もいなかった。駐車場の裏手は荒地になっていて、砕けかけた日時計とざらざらした遊具が置いてあった。異なった文明の副葬品のように見えた。我々は棒切れを立てて時を読んで、ひび割れたシートに跨って遊んだ。具体的には『マッドマックス・怒りのデスロード』ごっこをした。それから展望台に入った。

 展望台の資料室には、いくつかのポスターが掲げられていた。風力発電の原理、国内での風力発電の稼働状況、そして秋田県内のグリーン・エネルギーの概観……私たちはそれを興味深く眺めた。小さな音でどこかのラジオがかかっていた。広瀬すずがかなりやる気なくパーソナリティをしていた。こいつほんと鬼みたいにクソだなと私が根拠なく誹謗中傷をすると、姉の方が獣じみてクソだと輪をかけて根拠のない暴言を同行者が吐いた。

 展望台の二階に入った。窓が全て締め切られていて、祀るべき精霊がいなくなった後の祠のようにむっとしていた。大きな窓の向こうで風車たちが立ち並んでいた。それはゆっくりと動き続けていた。ちかちかと瞬きながら、風から少しずつエネルギーを得ていた。しばらくすると、風車が風を切る音が聞こえるようになった。それは湿度と温度と風力によってゆらいでいて、見知らぬ言葉で誰かがずっと囁いているように聞こえた。自然エネルギーは正しい側にいる、と同行者が言った。でもこの音に慣れなきゃいけない。動物たちをこの音に慣らさなきゃいけない……。

風車の写真


 ホテルの夕食をつけていなかったから、私たちは市街地で夕食を取る必要があった。私たちは『ノリさん』というピザ屋に行った。

 それは田畑を横切る県道沿いに一軒だけぽつんと存在するピザ屋だった。18時30分までしかやっていなかったが、このピザ屋を除いて半径十キロで5時以降も遅く営業している飲食店は一件たりとも存在しなかった。コンビニエンスストアすら存在しなかった。完璧な絶食地帯だった。おそらく、ここの住民たちは道徳の彼岸にたどり着いてしまったのだろうと我々は結論づけた。死は残酷で、食事は死を含む。だから食事は残酷なことだ。

 我々はピザを二枚とポテト、ジンジャーエールを二杯頼んだ。料理をする場所と食事をする場所が別の小屋に分かれていた。周りにはほとんど家がなかった。店長がバイクの整備も営んでいるようで、食事をする小屋にはバイクの部品や骨董、おそらく人生において拾い集められるものが所狭しと並んでいた。すごいな、と私は言った。まったくだと彼が言った。ソファは柔らかく、店内は涼しかった。夕日が遠くできらめいていた。店長とその妻が我々に少し話しかけた。おいしいですと我々は答えた。それは本当だった。ポテトとピザは適切に焼かれていた。前払いだったから、なんだか金銭の支払いなしに食事をしているような気分になった。

 食べ終わって店を出る。小屋の近くには石が積まれていた。あの夫妻には子どもがいるのだろうか? と私は思った。我々は静かに走り出した。

 くそっ、と同行者が言った。旅行なんてするべきじゃなかったんだ。家で寝てるべきだったんだ。


 そして私は家で目を覚ました。最初、私は何が起きたかわからなかった。ベッドはいつも通りありえないほど狭く、換気扇が雨の音をさせながらいつも通り回っていた。時刻は日曜日の午前8時を指していた。スマートフォンが起きないと殺すぞと言っていた。黙れ、その気になればお前を充電しないことだってできるんだからな、どっちが主人かもう一度考えるんだなと私はスマートフォンを罵倒した。黙らないと殺すぞ。

 ホテルに電話をかけると、あなたはすでにキャンセルしていて、前日のキャンセルだから半額はいただくことになった、しかし前払いだから実際は返金することになる、ただし銀行振り込みになるから少し時間がかかる、一方で……と全く要領を得ない説明を始めた。私は電話を切った。しばらく目を閉じた。レンタカーのページもキャンセルになっていた。写真は存在した(私が上で示したように)。しかし、その電子記録を覗いては、何の痕跡も残されていなかった。

 私は友人に電話をかけている。呼び出し音が続く。窓の外ではキチガイがずっとクラクションを鳴らしている。遠くの紙リサイクル工場のバカみたいにでかい音が響いている。日曜日の朝はいつもこうだ。ここに住んでから二年以上たっていることに気がつく。彼が電話に出てほしいなと私は思っている。