百合根を暖めると好きな根菜発表ドラゴンが生まれる
2024-04-29生きている人間じゃないんだ。稲川淳二はこのように霊を述べる。それは 死んだ人間、すなわち死体であることを意味しない。腐敗し、動かず、そして荼毘に付されるべき単なる物質を意味しているわけではない。彼が説明しているのは、生きているという部分がない人間がいて、それがまさに彼の足元から忍び寄ってきている、ということだ。生きている人間じゃないんだ。これはこの世のものではないんだ。
これはもしかしたら馬鹿げて聞こえるかもしれない。人は死んでいるか生きているかのどちらかで(中間項は存在しない。生と死にかかわる議論はその境界をどこに引くかに注目している)、生きている人間ではないのだったら死体だ。それ以外はありえない。
しかしそうではない。死体と生きている人間の間に横たわる領域には、物事が存在しうる領域が存在する。現実の何かが掛け違ってしまった(もしくは、現実は常に掛け違いうるもので、実際に掛け違った)領域が存在する。そこでは時間が奇妙に歪んでいて、そこに存在するのは霊――生きてはいないが、決して死体でもないもの――だ。もしまだ不可解なら考えてみてほしい。霊はいるのか、そしているとしたらどこにいるのか。私が好きなのは『夜汽車での話』だ。
ゴールデンウィークになった。実家に帰った。私の兄弟がいて、彼らの子供がいる。私は兄弟とかなり歳が離れているので、すでに毛のない猿どもは人語を介す歳になっていた。
こうなると話は変わってくる。私は彼らにおおむね嘘の話をした(例えば、トイレにいく 廊下で 夜に 後ろを 振り返ると 死ぬ)。これは兄弟にめちゃくちゃ嫌がられたが、必要なことだ。言語が、まだ獣の世界に住んでいる赤子を、理性と論理の世界にいざなうというのは、間違えた認識だ。むしろ、言葉には魔法や幻の世界が割り当てられている。幽霊の正体見たり枯れ尾花。『よつばと』でゴミ袋をドレスに仕立てる話がある。これらは言葉がどちらかといえば魔法の世界からやってきたものだということを表している。
今からするのは私が6歳児に語ったその手の話だ。もちろん子供は集中力のないマジのクソガキでYouTubeとか見てもう許せなかった。文明を打ち壊したいとすら思った。桃太郎はプロットが練られていないだとよ。自然派ママのペルソナでブログでも始めようかとすら思った。復讐がてら 夜に 電柱に 触ると 死ぬ などと言っていた。何にせよ、ダイジェスト版がこれだ。
昔あったことと似たようなことがまた起こるだろう。そのときはにんじんが今よりもずっとまずくて、土の味がした。ある子どもがこんなまずいものは食えないと言った。地面から掘り起こされるものがなくなるようにとお願いした。偶然、それが聞き届けられてしまった。
たぶん、要件定義書を策定する際にクライアントが同席しないという業界の慣例のせいなんだろう、その願いは少し間違えて実装された。願いの日からむこう、この世の大地には、根が張ることはなくなった。米も麦も根付くことはなく、ひとたび枯れた一年草は再び咲くことはなくなった。冷凍で保存された花のガラス球だけが在りし日の草花の姿を伝えていた。まだ世界には何千万本もののパンノキがあったから、実を湯がいてでんぷんを晒して糊口をしのぐことはできた。しかし、誰もがそれを問題だと思っていた。
ようやく、子供は自分の過ちに気がついた。そして次は、こんなことはやめてくれと頼んだ。しかし、一度実装された案件について巻き戻すのは難しかった。ただし、と戦略コンサルタントは言った。この根を七年間あたためていたら、もしかしたらうまくいくかもしれません。でも気を付けてください。七年の間、林檎の実が落ちるころになったらよく冷やした冷蔵庫に入れてください。そして、桜の花が咲いた時に先に取り出してください。そして、毎日かならずふところで暖めてください。そういって、固くしまった百合根を一つ、子供に与えた。子どもは一つだけでは困る、と告げた。そうして七つの百合根を手に入れた。
一年目には、子供はりんごの木をよく眺めていたから、すべての百合根を取り出すことができた。しかし、その次の桜が咲くとき、うっかり一つの百合根を冷蔵庫に置き忘れてしまった。二年目には、子供はりんごの木を見るのをうっかり忘れていた。慌てて冷蔵庫に入れたが、最後の一つは腐って黒くなっていた。三年目には、意地の悪いカラスが寝ている子供の懐から一つくすねていった。四年目は何もなく過ぎた。五年目に少年は熱を出して、一日中、熱にうなされた日があった。慌てて百合根をかき抱いたが、一つはだめになってしまった。六年目には、ついに誰もが我慢できなくなって、少年のところに殺到した。彼は小突き回されて、百合根が一つ坂道を転がって見えなくなった。残りは二個しかなかった。
七年目に、少年は病気に気を付けて過ごした。カラスが来ないように窓をぴったりと閉めて寝た。そしてりんごの木をよく見張っていたから、残り二つの百合根をきちんと冷蔵庫に入れることができた。しかしその冬、食べるものがない人々が少年のことを捕まえた。彼は暗く狭い牢に閉じ込められた。多くの人が牢に来ては、お前のせいで死ぬのだと少年をバカにした。
彼らは少年を殺すことに決めて、彼を連れ出そうとした。少年は桜を見て死にたいから伸ばしてくれといった。あと二週間なら伸ばせるだろうと告げた。彼らはその要求に応じて、二週間、少年を街から街、街道から街道へと引きずり回し、さらし者にした。そして、桜が咲いてから、彼を私設の処刑上に連れて行った。少年は最後に自分の家が見たいと言った。もはや生家は完全に略奪された後だったから、多くの人はあざわらった。少年が百合根を保存していた地下室も暴かれた後だった。百合根の一つは腐っていて、最後に残されたものも鱗片の二つが腐っていた。少年はそれを懐に入れた。
大勢の飢えた人が集まってきて、少年を殺せと言った。昔ながらの火あぶりの刑が用いられることになって、切り倒され干されたパンノキが運び込まれた。少年が木に金属製の台に括り付けられた。焚き木に火がぱちぱちと灯り、子供の前髪を焼いた。
そして拷問人がまさに彼の顔をつかんで火に近づけようとしたちょうどそのとき、彼の懐に入っていた百合根が大きな音を立ててはじけた。そこからはふくよかな竜が現れた。鱗片が二つ腐っていたせいで翼は萎えていたが、立派な竜だった。そして竜は子供に向き合って、好きな根菜について尋ねた。子どもはニンジンが食べたいと言った。どんな根菜でも。
好きな根菜発表ドラゴンがニンジンと言うと、大地からニンジンが生えるようになった。大根というとありとあらゆる種類の大根が根を張るようになった。米、麦、稗や粟、そしてまだ名前がついていない大地に根を張る植物のいっさいについて、好きな根菜発表ドラゴンが発表するたびに大地は柔らかく湿った。人々はすぐに畑に戻り、かつての農地を再びすきこみ始めた。あまねく大地の土地は常によく肥えていて、何度同じ作物を作っても目減りすることはなかった。そして人々はいつまでも豊かに暮らした。