知り合いの息子

4月は出会いと別れの季節といわれる。真偽のほどは確かめようがない。だが、文明の進歩は画一化を促すから、遅かれ早かれ、4月と季節という二つの言葉が接続することは稀になっていくだろう。

話は置いておこう。高卒で結婚した知り合いの息子が小学校に入学する。 何か言ってくれと頼まれたので、私は次のような話をした。 これは私が通っていた小学校(そして彼も同じ小学校に通う)でよく噂されていた話で、確かに校舎はすっかり建て替えられてしまっているのだが、にもかかわらずまだ妥当な話のはずだ。


昔々の話だが、一度あったことはまた繰り返すだろう。相川小学校のほとんどの生徒はおとなしかったが、ある学年には九人の悪い子供たちがいた。彼らは朝の集会にも出なかったし、先生たちをバカにしていた。彼らは校庭の物置を自分たちのものにして、そこで悪いことをしていた。ウサギを殺したり、給食を腐らせたりしていた。

その物置の隅に引き裂かれたマットレスがあって、九人の子供たちはそれにほうきを刺したりボールを張り付けたりして、不格好な人形にしていた。その不格好な人形にジャムの袋をぶつけたり、悪い言葉をたくさん浴びせかけていた。

ある日、その九人の子供たちは、一人の痩せた子供を放課後に呼び出して殴りつけて、校庭の隅の物置まで一人で行って、その人形の頭を取って来いと言った。取りに行った子供が全く帰ってこないので、九人の悪い子供たちの一人が様子を見に行った。

その子供も帰ってこないので、八人の悪い子供たちは物置に歩いて行った。その物置の屋根の上で誰かがひらひらしたものを棒に括り付けていた。よく見ると、それはあの人形が二人の子供から引きはがした体の皮を干しているところだった。その皮からはまだ血が滴っていた。それからというもの、その物置には誰も近づかなくなったし、解体することもできなくなっている。


参考文献:マックス・リューティ(1982)『昔話の本質と解釈』(野村泫訳)  https://www.amazon.co.jp/dp/4834013545