愛のカケラ10個で愛と交換

『ワールドフリッパー』というスマホゲームをやっていた。ヘルガ嬢が入手できたので即やめた。私の趣味はご理解いただけたと思う。

(2022/04/11初稿)

一つ気になったのは、『破星結晶』というアイテムについての事実だ。このアイテムは極めて有用で手に入れなければならないのだが、それはそれとして、『破星結晶のカケラ』という別のアイテムを10個集めると『破星結晶』と交換できるようになっていた。

ここには還元主義とは異なった、しかしまた別のドグマの存在を感じることができる。

問:我々はあるもののカケラを集めることで、それそのものと交換することができるのだろうか? 何が交換できて、何が交換できないのだろう? 交換できないものたちを特徴付けるのは一体どのような特性なのだろうか?

スマホゲーの話はここで終わりだ。CMです。


私のおじいさんがくれた初めてのハリウッドムービー

それは『ドラゴン・タトゥーの女』で 私は十五歳でした

その映画はすごくキッチュで

こんな映画に感動する私は

きっとキッチュな存在なのだと感じました

今では私が新作をVGプラスに発表

書いている途中に聞くのはもちろんI DONT KNOW HOW BUT THEY FOUND ME

なぜなら彼らもまたキッチュな存在だからです


これは冗談だが(私は文章を書くとき音楽を聞かない)、一部本当の話もある。

要するに、VGプラスで4月23日に新作が出る。字数は1万字程度。VR x 人工知能 x 夏 x 環境問題だ。今回はポップ(当社比)な話になっている。出てくる人はみんな口が悪いが、これは完全に私の趣味だ。読んでTwitterで呟いてくれよな。おれ、エゴサして待ってるからよ。今回もバゴプラ井上彼方さんに有用なコメントを頂いた。ありがとうございます。アンソロジーもよろしく!


 今まで文学のフリをしてきたが、白状してしまうことにする。私は実はラノベ読者だった。ライトノベルの方だ。

 当時のライトノベルは「上半分しか残ってなくても読める」とまで言われていた。『はがない』が二段組という領域を切り開いたせいで、この命題が皮肉な成立を見せたことはさておき、確かに異様なまでに短いセリフが多かったことは事実だ。

「は?」

「え?」

「だからさあ」

 こういう感じだった。それは――世代という大胆な切断を許すなら――『スレイヤーズ』や『ハルヒ』よりもだいぶ後の世代だった。

 ロックンロールの語彙を流用すれば、それまでのライトノベルは、なんとかしてソフィスティケートされたマチュアーなジャンル、つまりはSci-FiやSpec-Fiの代替物を目指していた。哲学との接続すら見られた。端的に言えば、誰もが筒井康隆を目指していた。

 一方、私が読書を始めたとき―小学校の図書館の『ダレン・シャン』に満足できなくなり、アニメイトの青くて臭い敷居をまたいだとき――ライトノベルは明確にグランジ・スタイルに傾いていた。哲学やメタフィクション、緻密なロジックではなく、「読んでいて/書いていて楽しい」という純粋さへの回帰が見られた。そしてその快楽の追求が俗にいう「なろう」を産み出した。

 もちろん、この年代記は全く正確ではないし、記述もまたそうである。社会規範とやらへの 無抵抗 ( アパシー ) に対する批判もあろう。渋谷系-マス・ロックという系譜に相当するものをラノベが残さなかったことへの毀誉褒貶もあろう。結局、ライトノベルは夏だ! リゼロだ! 異世界だ! 『ドラゴン・ラージャ』のときから分かっていたことだ!

 歴史はまあいい。私は歴史家ではないし、歴史の話をするためにここに来たのではない。

 私の愛読書は『アンダカの怪造学』だった(理由:暴力的な女がたくさん出てくるから)。『白夢(スノーミスト)』も好きだった(理由:ソフトエロだったから)。15歳のとき、サドンアタックをやってWeb漫画を読み漁った後(『忍の保存庫』が好きだ)、アメブロで『アンダカ』のソフトエロ二次創作までしていた。

 いや、なんでこんなことまで開陳しなければならないのだ? なぜこんな辱めを……私が……インテリたる私が……私は外国文学が好きなインテリで……。


 話を戻そう。『キノの旅』、『狼と香辛料』、そして『され竜』は私にとって洗練されすぎていた。そこにはなにかこう、高踏的なものが、鼻につくところがあった。彼らは知識も技術も持っていたが、彼らの小説はマックブックで書かれていた。どうやったらマックブックでライトノベルが書けるだろうか? 私に必要だったのはWindows XPのメモ帳に書かれた文章だった(なお、私は付箋アプリを使って書いている)。

 その点、日日日は素晴らしかった。とにかくエロい。エロくてグロい。中学生が大好きなやつだ。泣けるし。『狂乱家族日記』とか読んでました。泣きました。その観点からいうと『ムシウタ』も好きだった。エロくてグロいからだ。

 むやみに 時代精神 ( ツァイトガイスト ) を持ち出すべきではないが、それはそれとして時代精神を持ち出すと、当時は佐世保で子供が児童クラブで同級生を殺したり、恋空が流行ったりしていた。恋空もエロくてグロい。Q. へえ、こういうので興奮するんだ。A. はい、こういうので興奮します。私は色々なことを知った。ボーイッシュな少女が好きなロリコンと、ガーリーな少年が好きなショタコンの間には深い断絶があり、その渓谷の通行許可証は性器の形とは言うよりもむしろ心臓の形だということも理解した。

 しかし、念の為言っておけば、私の初ラノベは兄の本棚においてあった『ひめぱら』だ。『フルメタル・パニック』も好きだった。ああ、罪深き読書遍歴よ。私も谷崎潤一郎や太宰治を読んで文学を志した青年の皮を被って……やめよう! ここには外性器の形状に関するほのめかしがある!


 話を戻す度合いが足りなかった。ライトノベルの話だ。そこには明確に定められた型があり、『ボーイ・ミーツ・ガール(BMG)』と呼ばれていた。読者にとっても作者にとっても、遭遇は無条件で成立していた。少年は少女に会う。聖書が言うように、まず世界があるのだ。

 十年経って、この『ミーツ』を点検したとき、私は1つの構造に気がついた。実際のところ、我々がよいと思うのは、BMGと、そのそばに大人がいるということなのだった。これは間違いなかった。

 もう全然ライトノベルとは関係ないが、『エウレカセブン』でもホランドがいるのが重要だったし、『苺ましまろ』も結局は伸姉(伸恵)の話だ。伸恵かわいいよ伸恵。

『デカダンス』が私に響かなかったのも、あれは中年と少女の話にしてはいけなかったからだ。雑に少年を入れてガールミーツボーイにして中年は見守るべきだろ常識的に考えて。文体が10年前のインターネットだが気にしない。マターリ汁。また、中年の話はここから出てこない。なんとなく入れただけだ。

 だが、なぜ少年を入れられなかったのか? なぜGMBが不全になっているのか?

 ここでCM。


『ねじまき鳥無双』

操作キャラクター(『ぼく』)がバットを持って井戸に入って『根源的な悪』をなぎ倒す。根源的な悪を殴ると1ポイント。1000ポイントで猫と交換できます。ローディング画面のBGMは『泥棒かささぎ』で、パスタを茹でる主人公が見られる。新宿で通行人の顔を見続けるミニゲームもある。Steamで500円。課金スキンで主人公の顔に痣が出ます。CERO Z。


 色々なものが偶然では済まされなくなった現代では、とにかく全てに理屈が必要で、少年が少女に会うのだけでも1000キロメートルは旅をしないといけないし、そこから彼女の黄金に縁取られた虹彩を見るのだけでも、学者に書類を書いて厳正な審査を経ないといけない(カフカ的だ)。 

 少年が少女に会う? いいでしょう。様式3及び付票をご提出ください。その関係が何を目的とし、何を行うのかまでご記入ください。

 端的に言って、関係は不可能になりつつある。ミシェル・ウエルベックが『ある島の可能性』で言うように、血みどろの関係は野蛮の大地でしか息ができない。

 換言すれば、BMGは成立しなくなりつつある。私たちは話しかける理由も出会う理由もないことを知っている。いや、本当に、全くない。どこを探してみても、関係する理由はない。我々にはAmazon.co.jpがあり、DLsiteがあり、コンピューターゲームがあり、短期バイトの斡旋サイトがあり、Tinderがあり、UberEatsがある。そのほとんど全てに『通報』機能が備え付けられている。関係のカケラだけがある。