コロナ時代の愛
2020-05-01コロナ時代の愛
ガルシアマルケスの著した小説に『コレラ時代の愛』がある。内容は至ってカオスで、昔好きだった女の子の夫が死んだから告白してオーケーをもらう。クルーズ船でハネムーンを満喫。ちなみに御年60歳。あと、警察に狙われている。 という話だ。訳分からないが、ガルシアマルケスの話が訳分かったことがない。
ただ、ものすごくエネルギーのある本で、主人公が若いときクルーズ船に乗っていたら、突然、女に連れ込まれてレイプされて童貞を失うみたいなわけのわからないエピソードがある。もちろん、このように性の世界に連れ込まれた男がまともなわけがなく、ロリとエッチしまくる。「これやばいな」と思った結果、「今日はスキンがないんだ」とセックスを断り、その日そのロリが自殺するみたいなエピソードもある。人妻とエッチして下腹部に「僕の猫ちゃん」と書いておいたら、その夫に見つかり、人妻が惨殺されるみたいな話もある。不道徳極まりないな。
ちなみに、この本を読んだのはずいぶん昔なので、もしかしたら細部は違う話かもしれない。ひょっとすると、別のマルケスの話と混ざっているかもしれない。マルケスの話はこういう手のエピソードが多い。
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下水の処理が雑
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不道徳
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体臭がエッチすぎる人がいる
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性交のエネルギーがすごい
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カトリック系キリスト教徒が無意味にひどい目に遭う
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病人が死にそうなのに全然死なない
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でかい陰茎にビール瓶を乗せて街を歩く
ここらへんが出てくると、「おっやってるな」という感じだ。一つとして面白くなさそうだが、実際は面白い。水洗トイレはあるのに、下水が整備されてないせいで、汚水がびゃーっと撒かれていて、夏になるとそれが乾いて粉になって舞い上がる、でも俺たちは汗だくでセックスしてますけどね、何か? みたいな感じだ。読んでて笑ってしまう。やる気ありすぎだろ。本筋と全く関係ないところで、突然、山麓の発電所が爆発して、タービンが吹き飛んで、教会の尖塔に当たって下にいたカトリック系キリスト教徒が三人死ぬという話が出てくる。マジで出てくる。どうしてそんなひどいことするの?
ちなみに、ほっこりエピソードもあり、メシのタネにラブレターの代筆をしていたので、アホほど語彙が増えた結果、マジのラブレターを書くと、『まるで愛の言葉の辞書』のようになるというのだった。愛の言葉の辞書! すごすぎる。天才か。
これとは全く関係なく、今の時代の愛をコロナ時代の愛と呼ぶかに関して、私はかなり懐疑的だ。より一般的に言えば、今がコロナ時代であり、これが終わったらコロナの後の時代になるとは私は断定できない1。
一つには、我々が今生きている時代を「こういう時代でした」というのはそうとう難しいからだ。そしてもう一つには、コロナが終わることはないからだ。
もちろん、私は「そのうち以前と同じようになるよね」とは思っていない。サプライチェーンはより地域的かつ分散したものになるだろうし、無制限のグローバライゼーションも弱まるだろう。2030年までには一般人がただで自由に使えるインターネットは無くなるだろう。
しかし、私が思うには、時代というのは、これこれこういうことがあったということを包括的に後世の人が述べる際に使う言葉だ。そのように見たときに、このいわゆる新型コロナウィルスは我々の時代を代表するものだとは思えない。それは、1919年から1940年の間の世界的な凪の時期、弱い国が膿むように苦しめられた時期を、『第二次世界大戦の時代』と呼ぶのに似ている。端的に言えば、このウィルスは事件であって、時代ではない。
さらに、私たちにとってコロナウィルスは単なる風邪になる。それは未だに終わっていない東日本大震災と異なり、単に同居するものになる。これは「ウィズコロナ」と呼ばれるものとも違う。言ってみれば、「今年のインフルヤバいらしいよ」くらいの感覚になる。このような時代をコロナの後の時代と呼ぶことは難しいだろう。もっと適切な名前があるはずだ。景気の大後退の時代とか。