米中対立を煽って科学技術で儲ける時代が始まった
2025-02-02これは何
本稿では、日本の企業研究者を取り巻く問題を概観した後、オープンイノベーションの促進による問題の最終的な解決を示唆する。
私は――私企業の研究者だ。もう三年近く労働に勤しんでいる。二年かもしれない。というか二年だ。だがキリがいいので三年としておこう。それに私は諸君を憎んでいるから、嘘をつくことになんの抵抗もない。君が私なら私は自殺をするのもやぶさかではない。頭の体操は済んだだろうか?
これを読んでいる読者の中には、結論から始めろというものがいるかもしれない。では死ね。せっかちさんは死んだと思うので記事を続ける。
私はここで一つの手記を書こうとしている。その手記を通じて、私は正しい働き方を伝えたい。確かに、人生は川を流れるあぶくの一つに過ぎない。次の四半世紀は事実を記述統計量のことだと定義するだろう。それに比べて、手記は河原に生える葦の何とも頼りない残骸だ。しかし、私はあくまでも演繹と検証が可能な議論を心掛ける。また、スーツでクールにキメたビジネスパーソンがひり出す記述統計量とやらのサンプルが増えるのは、誰にとっても悪いことではなかろう。AIが君主なら私はデータの小作人であり、それもただ働きをする小作人だ。そしりを受けるいわれはない。それに、NatureだってN=3の論文を出版している!
三年。とても長い期間だ。私は色々見てきた。極めて抽象的な会議もあった。それは会議を開くための会議に誰を呼ぶかを決定する会議だった。フルリモートで何の仕事もしていないやつが毎年1000万円もらうのも見てきた。それを指摘すると、誰かが私の目を見て言った。でもあの人は草サッカーが強いんだよ。草サッカーは草。若いハードワーカーが正妻と離婚して仕事と婚姻したのを見た。若い女性社員は生理が止まったと言っていた。私にセックスはいらない。なぜなら仕事が私をファックしてくれるから。つわりが始まって仕事との子供を産むだろう。ありとあらゆる悪党が存在した。傲慢さが昇給を産み、それが新たな傲慢さを産んだ。あれ、おれがやったんスよ。横領、詐欺、強盗、枕営業と盗撮、放火、他殺と自殺、強姦、恫喝と殴打の全てがあった。トイレにはいつも注射器とスプーンとゴムバンドが転がっていて、息を止めて排尿をしないとラリってしまいそうだった。個室のドアは全て鍵が取り除かれていた(コデインをコカインだと誤解して死んだやつの死体が腐敗した事件を経て)。ある部屋から流れ落ちた血が側溝を汚してそれを別の部屋から垂れ落ちる精液が洗った。何より私は我々が純然たる無産階級の労働者であることの刻印を見てきた。一時間の労働は一時間の価値しか産まない。裁量労働制はそれを蚕食する。その通奏低音を必死でごまかそうと、我々は青白く仄めくゲートに社員証をピッてしてる。
科学はオカルトをゴミ箱に無造作に捨てたのだが、それと一緒にヨーロッパをうろついていた幽霊をも完全に除霊した。マルクスとエンゲルスがたしざんとかけざんによって文明の破綻を予見した日から、もう百年近く過ぎ、今や共産主義は合理性というよりも信念によって支えられている。新しい技術と機械で書かれた第二の社会基盤は資本主義が奪っていった(ちょうどビデオがラジオスターを殺したように)。
問題はその代替となるストーリーが作られなかったことだ。資本主義は最悪で、これから別の経済システムを発明する必要があったのだが、そうはならなかった。あらゆるものが進化生物学の言葉を簒奪するので、私もそうすると、資本主義は主義空間(主義を元とする空間)の探索を我々に許さないことによって適応度を拡大した。これは特に何も理解を深めたりはしない。私は君たちが憎いので、衒学に走ったまでだ。なお、主義とは主義空間の元のことである。
私たちは幽霊よりももっと具体的なものによって苦しめられている。ああ、些末主義も修辞法もやめよう。労働は苦しい。
だがなぜ?
なぜ労働は苦しいのか
疑問は思考の枠組みを制限する。人を包丁で殺すのはなぜいけないのか?という疑問が奇妙なのは、それの疑問が思考の枠組みを制限しているからだ。
同様に、この疑問は考えるべきではないという者たちもいる。彼らはこう言う。それは考えることのできるクラスの問題ではない。彼らはエヌヴィディアの株を買ったり、インデックス投資とやらに精を出したり、ビットコインを買ったりして苦しみから逃れようとする。株価がウォール街しないことを祈っている。
確かに、何人かはうまく逃げおおせたように見える。彼らはいつも家計が 火の車 だというが、それは実際に 経済的な自立と早期リタイア したということだ。含み益が1億円くらいあって、熱海だか小田原だかのアパートに閑居して不善をなす。女子高生を盗撮してオナネタにすればFANZAでエロ動画を買わなくても済むとのことだ。実に経済的だ。だが、念のために言っておけば、ほしのあきはまだ使える!
しかし、残念だが、それは逃げ場ではない。私はここで、金銭に関する清貧主義を主張しようというのではない。カネはあればあるだけいい。そうではなく、私の観測範囲においては、FIREの与える自由に耐えられた人間はいない。彼らは結局、労働に戻ってくる。労働が彼の口座に突っ込んだ極太のおちんぎんが忘れられない。もしくは、彼らはいうのもはばかられる犯罪を犯す。ドストエフスキーが言うように、自由は信仰を持たない人間には厳しすぎる責め苦だ。そしてFIREをするためには棄教が必要になるから、本質的にFIREに耐えることはできない。メンズコーチ・ジョージっぽく言うと、厳しいって、普通に。
一方で、通り過ぎるのを待つ者たちもいる。彼らはこう言う。労働は趣味の金銭を提供するだけの苦役だと。嵐の時期を過ごすリスのように彼らは労働をやり過ごす。そして晴れた朝に木のうろから彼らは這い出して来る。それぞれ推しとやらがいて、推せるときに推すとのことだ。デヴィッド・ゲッタが言うように、「たくさん働いてたくさん遊ぶ」のだ。スマートフォンのケースだったり、ちょっとしたカフェだったり、ピンバッジだったりを買う。推しがステージの上できらめいている。新しい絵が描かれたりする。運命だって必然みたいな歌詞の曲をリリースしたりする。SNSでバズったりする。かわいい顔してチンポがエグいんだよな。最後のはちょっと偏っているかもしれないが、私にだって好みを開陳する権利はある。
だが、これは論外の考え方だ。推しは何も救ってくれたりしない。推しを見たら冷蔵庫がきれいになるか? 推しが画面の向こうできらめいていたらゴミを捨ててくれるか? クソみたいなおっさんが「AIに聞いたコマンドを打っただけなんだけど」と言って完璧に破壊した git レポジトリを直してくれるのか? おれの人生に何か影響を与えるか? 与えない。冷蔵庫はおれが磨く必要がある。ゴミはおれが捨てる必要がある。嵐に身をさらさないと得られるものはない。電子音楽の網は天の網ではないから、虚空に消えたコミットログをとらえることはできない。アイドルはプロデューサーと寝ている。歯を食いしばってお前がレポジトリを直さないといけない。起きろ621、仕事の時間だ。
最後に、すべてを諦めたやつらがいる。彼らは寂しそうに笑って、これはそういうものなんだよという。産まれてきたことは罪で、それの罰を払っているのだと。誰もが驚くような大学を出て、極めて鋭い理論的思考を持つエリートたちが、滋賀の変な研究所で『真冬でもうるおう』エアコンとやらを開発している。どうやってエアコンが『真冬でもうるおう』のか? なぜならこのエアコンにはWiFi接続機能が搭載されるからだ。論理的につながっていない? 君はまだ勉強が足りないんだ……。それに君は京大卒じゃないから変人の考え方についていけない……。
彼らと仕事をして三年経つ。職場と飲み会――特に二次会――では言うことが異なることに気がつく。なぜ? と私は尋ねる。なぜ私たちはこんなにも時計を見ながら仕事をするようになってしまったんでしょう? 月曜日から金曜日までをまるでないみたいにみなすようになってしまったんでしょう? 私が演説を一通りぶった後、誰かが私の隣に座る。さっきの話だけど、と彼は私のコップにビールを注いでくれる。中華料理はまだ残っているが冷えつつある。それは私たちが無力だからだよ。世界に何も影響を与えられないなら、生きることはとてもきつくなる。二流の自分には慣れる。でも無力さに慣れることはできない。絶対にできない。
子供だった時があるだろうか? その時の話をしよう。まだ世界にはものがとても少なかった。私は古い宿舎に住んでいた。そこの裏手には草畑があった。母親がシロツメクサを摘んで花の冠を作ってくれた。その写真はまだ実家にある。太陽が洗って真っ白になったその写真に私と母親は記憶から私の面影を現像してよみがえらせている。母親はあの日は寒かったと言う。私は半袖で外にいたと思っている。記憶の暗室は奇妙で、私たちはもはや同じネガを共有していないのだが、同じことについて語っている。
話題がそれた。子どものときは世界がとても狭かった。私は素手でものに触ったり、階段から落ちたり、ACアダプタを舐めて感電したりしていた。朝の冷たい空気は吸い込むと肺が硬くなって咳き込むから好きだった。あなたもそうだっただろう。
その時は自分がやることは何でも世界に影響を与えた。割りばしで銃を作れば誰かが喜んで、それに撃たれた人が私を恨んだ。下の階の教室のドアに巧妙ないたずらをしたら全校集会が開かれた。とある教員の中傷ビラを客観的な筆致で書いてパソコン室で印刷したら、不可知の経路を通じてバレ、説教をされた。要するに、一挙手一投足が世界につながっていた!
しかし、今やそうではない。自分たちのやることは概念的にも実際的にも世界から切り離されている。この世で『顧客中心』を掲げていない会社はほとんどない。いかなるビジネス本もそういう。ニーズは何ですか? ドリルが欲しい人が本当に殺したいのはあなた。それは我々が世界――顧客――との接続を喪ってしまったことを示唆しているように思える。
そして、私たちは、誰も、『再接続』ができると思っていない。あなたが企業に所属する研究員なら、次の平日、誰かに尋ねてみるといい。次の年度は世界に影響を与えてみませんか。彼らはあなたを傷つけないように笑ってくれるだろう。そしてその価値観を肯定してくれるはずだ。世界に影響を与えたいっていう考え方はいいね。そこにはある種のほのめかしがある。なんで君はそんなに頑張ろうとしているの?
埼玉県の道路陥没事故について、関係者の命懸けの奮闘には本当に頭が下がる思いですが、一方で思うのは、これは日本という国の衰退を象徴的に表す事象なのかもな、ということです。「ローマの水道」で知られるように、旧ローマ帝国は道路や水道といったインフラの水準の高さで知られましたが、衰退を迎…
— 山口周 (@shu_yamaguchi) February 1, 2025
さて、山口は命懸けの奮闘に頭を下げているのだろうか? 次のポストをご覧あれ。
奴隷がタイパやって生産性上げても、それで儲かるのは奴隷オーナーで当の奴隷にはリターンはありません。タイパ以前に「人生の戦略」を考えましょう。
— 山口周 (@shu_yamaguchi) February 1, 2025
改めて読者に注意しておくと、山口は日本の 中立者 としてWikipediaに記されていたこともある!
なぜ我々は無力になってしまったのだろうか?
2022年は記念すべき年で、なぜなら我々が科学技術予算についての最新の統計を得ることができるからだ。公的機関には1.5兆円の予算が賭されて科学技術が新興された。大学には2.2兆円だ。翻って、企業には 15.1 兆円の予算が費やされた。AIに聞いたところ、企業はおよそ公的機関と大学の合計の4倍もの予算を持っている。AIってやつはすごい。
議論を先取りしようとしないでほしい。産業界は4倍のアウトプットを出すべきだと私は言おうとしていない。成長は本質的に予測不可能であり、よしんば仮に最善の予測をするとしても、線形に応答するとはだれも考えないであろう。ただ、公的セクタが出力している研究開発の成果に比べて、産業界のもたらすインパクトはそれほど大きくない。私はここを問題にしている。
一つの興味深い事例が、Preferred Networks/PFNのカチャカやMiseMiseと呼ばれるプロダクトだ。
PFNは知らぬ人のいない日本の誇る有名なスタートアップで、非常に優れた技術力でトヨタからカネを引っ張ってきている。近くにちょっとパソコンに詳しい人がいたら、PFNを知っているか尋ねてみるといいだろう。実態としても、日本のユニコーン企業として非常に期待されている。情報系の東大生は驚くほどキモいのだが――いきなり中傷して申し訳ないが、私の頭の中のマルコフ過程がこうなっている――彼らはPFNのエンジニアの就職口をのどから手が出るほど欲している。
そのPFNが基礎研究を飛び出して、実際のプロダクトを作るとどうなるか分かるだろうか?
もちろん、私の知性はドブみたいで、それも単なるドブではなく、ド級のドブなのだから、PFNのビジネスプランを理解できてはいない。例えば、カチャカは家庭用への高級な家具から、歯科医院などの特殊施設への安価・高機能なモバイルロボットへと軸足を移している。これにより、競合相手を1万円の家具から、100万円以上する産業機器へ替えている。ビジネスには、金銭をてこにして不確定性から利益を得ることが含まれるから、究極的には、彼らに掛ける言葉はナイスチャレンジ程度しかない。
しかし、私が言いたいポイントはそういうところではない。
我々はどこかでボタンを掛け違えている。およそ、よく知らないが、多分PFNは社長と副社長が東大卒だから、帰納的に言って東大卒しかおるまい。そして東大卒はだいたいよく考えているので、おそらく彼らも市場調査を綿密にしたに違いない。会社の中に『ちょっとした金持ちの部屋』を再現して、どこにニーズが存在するかをエンジニアが調査したかもしれない。ねえカチャカ! 強い酒を持ってこい! 今回のカチャカは小柄な女なら載せられます。特に服を着ていなければ。ねえカチャカ! 小柄な女を剥き身で持ってこい!
だが、結論として、出てきたのは高級な動く棚だ。ここで何かが間違えていると私は考える。4倍の研究開発費を持つセクタから出てくるものがちょっと便利な棚というのは何かがおかしい。私たちは世界を動かす方法を忘れていて、日銀の妖精が言うように、『飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしま』ったのだ。
どうすればいいのだろう?
(本気にしてしまう人がいると困るので、念のために講釈を垂れておけば、民間企業の開発領域は非常にお金がかかる。例えば、医療用医薬品の領域では、研究よりも開発の方に数十倍の金銭が必要になる。これは世界規模で治験を実施することを想像すれば理解可能なことだと思う。例えば、デロイトの資料を参考にせよ)
私は死を左のポケットに入れている。時々それを取り出しては話しかけている。ハロー、ベイビー、調子はどうだ? いつやってくる? 用意しておくからな。
チャールズ・ブコウスキー 『死をポケットに入れて』
問題はまずGemini に尋ねる
Googleの技術力は極めて高度かつ多岐にわたる。検索エンジンから地図、スマートフォン、そして飛行船による無線通信まで行っている。ある技術が存在するとき、そこにGoogleがいたとするならば、彼らが頒布しているプロダクトは――ある程度の質に達しているはずだ。
また、大規模言語モデル(LLM)は世界を変えると目されている。この世にあふれるテキストから学習された極めて大きいモデルは、一説ではすでに『知性』を持っていると言われている。そこまでとはいかずとも、使った人ならだれでも、その強力さには舌を巻くだろう。もはや、普通のコンサルと話すよりもずっと賢く・適切な返答をしてくれる。なおコンサルは十分にバカなものとする。
では、Googleが出しているLLMはどうだろうか? 2025-02-02現在のLLMリーダーボードを見ると、Googleが無料で使えるようにしているLLMであるGemini-2.0-Flash Thinkingモデルが一位を獲得している。きっと、この複雑な問題に対しても解を導き出せるに違いない。なにせ、この大規模言語モデルにはこれまでに書かれてきた人類の英知の全てが詰まっているのだから。
以下、彼の回答を抜粋する。
リンボーダンス без ライフワークバランス 탈출 계획 (とっぴな解決策):
- исследователи диктатура 制度: исследователи に абсолютная власть を与え、労働時間や исследованию の pace を исследователи 自身に 결정 させる。会社 は исследователи の 要求 に полностью подчиняться 。
- 理由: исследователи の autonomy を максимально に尊重し、 исследованию に 몰입 できる 환경 を実現する。 исследователи が свои pace で исследованию できれば、 ライフワークバランス も по умолчанию で улучшить するはず。( исследователи が власть を乱用し、 компания が chaos に陥る риск も…)
- исследователи временный escape leave 制度: исследователи は 年に минимально 3ヶ月、 исследованию から 완전히 escape できる leave を取得 обязательный 。 leave 中は исследованию に касаться の запрещено 。
- 理由: исследователи に физический and mental refresh の opportunity を предоставление し、 исследовательская activity の sustainable を保つ。 leave 中に исследователи が исследованию の アイデア を思いつけば、 副次的な эффект も 기대 できる。( leave から вернулся исследователи が исследовательскую деятельность を полностью забыれてる риск も…)
- исследовательская деятельность подработка разрешение 制度: исследователи は исследовательская activity подработка を разрешение し、 частный час に 他の исследовательских институтах や 大学 で исследованию できるようにする。
- 理由: исследователи が multiple исследовательская activity に 참여 することで、 исследовательская skill を повысить させ、 キャリアアップ を поддержка する。 подработка 先で ライフワークバランス を保てる可能性も。( подработка が основной activity になり、 本業がおろそかになる исследователи が続出する риск も…)
まとめ:崖っぷち исследователи からの 역습 начало は近い?
японские компании の исследователи が抱える три фактора の苦悩と、 их を解決するためのとっぴな解決策、いかがでしたでしょうか?
территорию を脱却し、新しい исследовательской деятельность の стиль を確立しなければ、 японские компании の исследователи に 明るい 未来 はないかもしれません。
今回のブログが、 немного でも японские компании の исследовательская среда が измениться きっかけになれば嬉しいです。
… таким образом 、 исследователи の резкое изменение に期待しつつ、 崖っぷち исследователи のブログは closing とさせていただきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
私はふざけていない。悪いのは世界の複雑さを理解できずに複数の言語に逃げたGeminiの心の弱さだ。
結論として、AIは現実の世界が壊れていることを認識できていないため、いきなり横文字を出して逃げようとする変なコンサルみたいなマネに出た。この問題に対して、LLMは極めて脆弱だ。
なぜGeminiは変なコンサルみたいになったのか? 変なコンサルは見つけ次第殺すので、死体の処理問題が発生し、死体処理を専門にする戦略コンサルを呼び、そのコンサルは変なのでまた新たな変死体となるのだが、それはそれとして、
- 第一に、言語化された世界は――言語化される範囲内で――整合的だ。
- 第二に、これらのAIは(マルチモーダルはひとまず無視すると)おおむね言語による機械学習モデルである。
- 第三に、機械学習は、一般として、訓練されているデータが存在しない領域における推論――外挿――を不得意としている。
- 第四に、この世界はどちらかというと整合的ではなく、華々しく壊れているというよりも、少しだけ、思ったよりも少しうんざりする程度に壊れている。
以上から、巨大言語モデルであるGeminiがこのみじめにとっちらかっている世界を認識することが原理的に不可能なことが分かった。
餅は餅屋――生成AIの話は驚き屋に任せよう。私たちにとって重要なのは、生成AIがこの問題を解決することに使えなかったという事実だ。我々は我々の頭で考えないといけない。とても心細い気がする? だが心配はいらない。我々は機械なしでもうまく考えられてきたんだ。何度でも言っておくが、人生に練習はなく、私たちは一度きりの水泳を何とか頑張ってやってきた。ヴィンセントが言うように、「泳いで戻るためには何も取っておかなかった」のだ。
組織風土のボトムアップの改革
エロ漫画において最もエロいのは幼馴染が勉強してきた性技で、なるほど抜群に抜けるのだが、それはそれとして、私は社会の仕組みについて勉強してきた。マネジメントの本を読み、組織論を読み、ヴィジョナリーカンパニーについて知り、データ駆動ビジネスについて知り、U理論、ティール組織、アジャイル、リーン開発、そのほか無数のビジネスについて本で勉強した。私は全体論的な労働観を持っている。私はシステム2で考えている。私が幼馴染で組織論が性技なら私は抜群に抜けるやつだ。だが私でオナニーしてはダメですよ。
そして、私が日本の私企業における研究者の生きがいについてしゃべると、目端の利く読者なら、すぐにこういうだろう。それは近年さかんにビジネス界で研究されてきた分野ですね。資本主義のフレームワークの中での労働の苦しみからの解放――これは日本では『生きがい』と呼ばれきた用語です。生きがいを増やそうという取り組みは多く提唱されています。例えば、U理論は……。
先は私が引き継ごう。例えば、U理論は内省と対話を通じて一人一人が仕事の意義を見出す。ティール組織は労働を人生における達成感と結びつける。ビジョナリーカンパニーは理念による宗教的統治をおこなう。これほど過激ではなくても、多くの会社が非数値的な目標を掬い取るためにコンピテンシー評価を導入している。コンピテンシーってなんだよ。コンピテンシーとは行動特性による評価のことだ。行動特性ってなんだよ。知らねえよ。てめえが調べろよ。バカが。ブチ殺すぞ。
しかし、これらの議論は馬鹿げている。人生おける目標、理念、行動特性……それらが安直な数に置き換えられているのを私は何度も目にしてきた。具体例を挙げれば、『他の社員に影響を与えて、チームの結束を作る』みたいなコンピテンシー目標が「今年は飲み会を四回やりました」という実績によって評価されているのを見たことがある。さすがに面白くて、私は職場で汚めのオホ声を出すべきではないのに出してしまいました。お゛゛っ゛♡なんだよ♡飲み会を四回やるって♡なんでそうなるんだよ♡
なぜか?
答えは簡単
こいつバカだからだ
イライラする
丸亀製麺
丸亀製麺は全く関係がない。だが分かってもらえると思う。おそらく、もはや労働に対する情熱は有効期限を過ぎた懐かしい思い出でしかない。日本は、NISAによって、労働者に不労所得の香りを――含み益という謎めいた言葉をもって――嗅がせた。冷笑主義は若者の間だけではなく、管理職にも広まっている。面従腹背は七世紀からの我が国の文化だ。生きがい? 生きがいだって?笑
生きがいという言葉は死んだ。例えば、NTTデータのアンケートを読めば近年の企業研究者の20パーセント以上が残業をほとんどしておらず、業務時間の半分程度しか研究をしていないし、加えて言えば、最も不満がある点が報酬という具合だ。口を開けば「リソースが足りない」というが、彼らに十分なリソースを与えても何も出てこない。というのも、彼らが本当に作り上げたいものなどなく、それを糊塗するための方便がリソースの欠如という優しい嘘だからだ。
まったく、清貧主義にはあきれる! という声が聞こえてくる。また、究極的に労働の価値とは成果をどれほど出せたかであって、アンケートに興味深い詞書を書きつけることではないという意見もある。最後に、ライフワークバランスという説もある――子どもが三人いてどうやって残業をしろというのだ。労働時間以内に終わらない仕事を科料するのは管理職の怠慢だろう。
これらはある種の正論であり、また幻聴だと思われるが、一応返答をしておく。第一に、私は清貧主義についてどうという主張もしていない。給与に不満があって、大いに結構。しかし、研究者として最初に考えるべきは――おそらくそれが満たされていないのだから――研究に関することであるべきだろう。また、成果主義については、近年の研究や富士通の実証では、その報酬設定や導入の難しさや挙げられている。ガキ? ガキは実家にでも送っておけ。野でも育つ。自分の手で育てたいと思うのは進化生物学が嵌めた頸木だ。その動物的な衝動は忘れろ。
しかし、問題は残る――もし、企業文化を個人という単位から変革することができないのなら、そして個人を単位として企業が成立しているなら、いったい、どうやって労働の苦しみを減弱できるだろうか?
オープンイノベーションに活路を見出す
生えてこない物は植えるしかない。教科書的な知識は最小限に済ませようと思うが、オープンイノベーションとは自社内だけで技術・アイディアを構築するのではなく、社外のベンチャーや大学から技術・アイディア・社員、そして文化を取り込むことである。
察しのいい読者は気がついたことだとは思うが、これにより、外部企業や優れたスタートアップの文化を社内に導入することができる。加えて言えば、技術の導入については無形固定資産として計上でき、社内文化は本質的に株式の購入によって贖われる――これらの処理は研究開発費としては組み入れられないため、我々は研究開発に投資することなく、文化を変革できるのだ。パンツじゃないから恥ずかしくないもん、みたいなロジックである。
ただ、以下の三つの議論が出てくる。一つには、我々が欲しいような文化――『生きがい』の文化――を持ったような会社が実在するのか、実在するとして、どのように引き込むべきなのか、最後に、実際にそれらの文化を組み込むときに既存勢力との間で生じる衝突をどのように解決するのか、という問題だ。
米中対立の今こそ優秀な科学者を引き込むべきだ
初めに、優秀な文化を持った企業は存在することを確かめよう。アメリカや中国には多くのスタートアップが存在し、優秀かつ強く動機づけられた若い労働者が大勢いる。Google、Meta、Apple、Amazonといった大企業がかつてそうだったように、次世代を担うハードワーカーが押し寄せている。
これは確かめることのできる主張で、Quoraの質問を見れば、彼らが毎週70時間も労働していることが述べられている。また、MediumやLinkedInなどと言ったマジモンのクソアプリ、マジでカスのふざけたごろつきどもがインプレッションのためにやってるばかチンチンみたいなサイトで "Ikigai at startup company" などとほざいて口を開けながら検索すれば、クソみたいな記事がどんじゃか出てくる。バカじゃないのか。何やってんだこいつら。
中国についても似たようなことを聞く。これは単なる口伝だが、ある人から聞いたところでは、中国のスタートアップはソフトウェア開発も三交代制を敷き、24時間連綿と開発が行われているらしい。DeepSeekの華々しいスタートは――Qwenからすでにそれは明らかだったのだが――西側諸国にも更なる力をもたらした。
ソフトウェア開発の外に目をやっても、米中のスタートアップの活躍とその文化は素晴らしいことが分かる。これに関しては BIO2024というバイオベンチャーのスタートアップが集まる学会の参加記録を一読するのがよいだろう。また、アカデミアでも、アメリカと中国はトップを競っている。実際、論文数だけで言っても、中国とアメリカはそれぞれ60万、40万報の論文を報告しており、これは第三位の英国(13万)を多きく引き離している。よく引用されている論文についても同様である。これが研究活動・広報活動におけるハードワークの成果であることは間違いない。
確かに、これらの二極は優れた文化を持っているかもしれない。しかし――常に疑問は出てくる――彼らがそれほどハードワークできるのは、ひとえに彼らに提供されている賃金が莫大であることによるのではないだろうか? 日本がバイオスタートアップを支援し始めたとはいえ、アメリカに比する給与を与えられる目算は薄い。
一面では、それは正しい。西側にストックオプションと個人の資産という概念があるかは知らないが、西海岸では、SWEには少なくとも2022年当初までは莫大な賃金が払われ、基本的には売り手市場だった。彼らがよしんば牛丼マニアでサーナイトで抜いているとしても、賃金格差のエネルギー障壁を乗り越えられるかはわからない。性欲は無限という意見もあるが、それもそれで困るだろう。サーナイトはいいとしても、ゼラオラに目をつけるやつらが入ってくるのは困る。
しかし、だからと言って彼らをオープンイノベーションによって手に入れられないとは私は考えていない。むしろ、近年の政治的な不安定さは日本を極めて魅力的な労働環境にしていると考える。
そう、私がてこにしようとしているのは、2025年1月からアメリカ大統領がドナルド・トランプに変わり、大規模な政治的な変化が起きていることだ。
例えば、経済的な面でいえば、中国、カナダ、そしてメキシコに関税を課し、これは国対国間での緊張を高めた。また、政治的な体制としても、トランプ大統領の当選はZ世代の右傾化と政治的正しさの物語が失われつつあることを示唆しする。最後に、いわゆる『DEI』(多様性・公平性・包括性)の撤廃により、米国内で7%程度のマイノリティとされるがSTEM領域では多くを占めるアジア系アメリカ人が不安を覚えるのも合理的な想定だ。
翻って、中国では若者の失業率の高さが取りざたされている。塾が規制されて大学生が路頭に迷うとか、失業率が45%を越えたなどという話は噴飯物のポルノだが、若年層の失業率は15%以上を推移している。また、八失人材というスティグマを政府がもはや隠すことなく使い始め、国家安全についてのプロパガンダが日々流されるとあっては、中国の若者――特に、スタートアップやベンチャーで激しく前後する優秀層――の体制に対する不安は察するに余りある。
これら米中の不安を抱える若者を安く買いたたこうというのが私の提案だ。幸い、日本はアメリカ・中国ともある程度の関係を維持できている。在日米国大使は内政干渉を行うし、在日中国大使も内政干渉を行う。なんとも美しい国だ。
このような(米国寄りではあるものの)第三極的な国家として立ち振る舞うことによって、米中の摩擦を避けて研究に集中できる環境として、日本は非常に良い立場を持っていると私は主張する。
何ならちょっと煽ってもいい。現代でも監視カメラは白黒なのだから、アメリカの暗い通りでアジア人を無意味にぶん殴って「【何が】アメリカ人がアジア人を殴る 差別か」などというニュースを流そう。何がってアメリカ人がだろ。
巨乳の女がやたら出てくる激しく性差別的な中国製のゲームが『核心価値観』に合わない(例えば、女性の性的価値を過剰に表現することは、中国における男女間の平等かつ調和のとれた関係を破壊し、和諧を乱す、のように)ということで禁止したりしよう。もちろん日本は二つの意味で violent free であることも宣伝する。暴力は存在せず、どのような暴力もゲームの中では許される(これは日本が監視社会ではないという含意も伝える)。
それでも予算の問題はしつこく残ってくるかもしれないが、私は楽観的だ。まずフジテレビを解体してその予算を充当することが考えられる。新聞記者という映画を見るに、どうやら内調ってところが巨額の予算をフジテレビに使って悪いことをやってるっぽいので、まあそれを使えばいいだろう。また、カネ以外にも、フジテレビを解体したことによって女がたくさん出てくると思うし、あいつらはまあエクセルも家事もできないだろうから、受付などをやってもらえばよいだろう。まあ、なぜか受付が会社の奥まったところにあり、なぜかふかふかのベッドやらジョークグッズやらもあるのだが、深くは考えないほうがよかろう。そういうことについては日本はノウハウがあるはずだ。
最後に、文化の衝突をどのように避けるかという論点が存在する。これは根が深い問題だ。例えば、銀行や製薬会社、タイヤ産業のRD部門を見ればわかるように、構造の大規模な変化は必ず摩擦を生む。それは人間が本質的に抱える感情的慣性でもある。
したがって、次のように考えるかもしれない――オープンイノベーションによって得られた技術的・人的・文化的アセットの導入は激しい摩擦を伴うと。
しかし、私はこの点についてはほとんど心配していない。
終末処理場は下水道の心臓部。
終末処理場は、バクテリアなどの働きで(活性汚泥法といいます)汚水中の物質(有機物)を分解して、きれいな水に変わる施設です。
処理場は、沈砂池、汚泥処理、水処理などの施設からなり、それらを通った水はきれいになって、さらに消毒され川に放流されます。
http://www.e-rumoi.jp/content/000008624.pdf
2024年、小泉進次郎が解雇規制についてついに触れた。このニュースは大きなハレーションを引き起こし――筆者はハレーションが何なのか知らんが、とにかくそういうものが引き起り――世論に大きなインパクトを与えた。もちろん、解雇規制の緩和がすぐに進むとは私は考えていない。
だが、日本はこれまでなんとなく非正規が増えてきたのだし、今も、何となく方向性としては解雇規制が緩和する方向にある。この流れが加速すれば、おそらく経営陣は任意の人間を即日解雇できるようになるだろう。結果として、オープンイノベーションによる文化の導入は極めて速やかにすむだろう。
それに、よしんば仮に労働組合が強くて解雇規制が緩まずとも、やりようはいくらでもある。例えば、日本の企業には配置転換という手段がある。日本の労働者はこれまで会社で仕事をしていたので、どこに埃がたまるかきっとよく知っているはずだ。また、これから日本は凋落の一途をたどるのだから(これについては合意が取れる)、きっと就職口はホテルのプール掃除やら女の仲介やらウーバーイーツの配達やらになる。そういう輝かしいキャリアの下準備として、まあお前はフロアの掃除でもしてた方がいいと主張することもできる。これはかなりロジカルなので、反論することはかなり難しい。
また、実際、これはすでに日本では大雑把な形で取りざたされていることだ。はっきり言うが、この世に影響を与えずに給料を得ているという点で、企業の研究者はエッセンシャルワーカーよりも年金生活者に近い。そして、年金生活者が死ぬことを厭わない者が増えている今、企業研究者の死が拒絶されるべき合理的な理由を見つけるのは私には難しい。
はっきり言えば、ちょっとネットで検索をかければ、私程度の人間がやるような仕事をもっと熱意をもって取り組める奴はごろごろ出てくる。彼らは独自のアセットやらを持っていて、それらが無形固定資産で買えるのだから、悪いことは何もない。
部長が私を呼ぶ。普段は使わない会議室だ。彼の隣には課長が座っている。彼らはわざわざすりガラス張りの部屋を選んでいる。部屋の隅には観葉植物が置かれていて、というのも職場にグリーンがあると心理的安全性が上がるというエビデンスがあるからだった。鍵が閉まる。
最近どう、と部長が言う。私は適当に受け答える。彼のラップトップがやっとモニターに接続される。彼は頬の筋肉に力を入れずに言う。まるでこの部屋の誰にも関係ない事実を述べているとでも言うように。このベンチャー、よさそうなんだ……。
Geminiがあのメッセージで含意したことは正しい。あれは混乱したから多言語のメッセージを送ったのではない。彼はこれからの企業文化は多言語のものになると正しく予見していた。だから、あれが壊れているように見えたのは受け手の問題だった。あのメッセージを受け取るのは――すなわち、企業の研究者の問題について考える資格があるのは――私ではなかった。私は漠然とそういうことを考える。
私は印刷されたスライドをぱらぱら見て、いくつか取ってつけたような批判をする。こいつら、Pythonしか書けなさそうな顔をしてますよ。それはとても空虚な響きを持つ。そうだな、と課長が受け止めてくれる(彼はなんでも受け止めてくれ、それが美徳でもあり残酷なところでもある)。でも、と彼は短い反論をする。計算は横にスケールするし、AIとの統合を考えると、Pythonも悪い選択肢とは言えない。私たちは黙る。そうですね、と私はつぶやく。このスタートアップはすごくよさそうだ……。私たちはまた黙る。そう、このスタートアップはとてもよさそうで、フロアには人数分の椅子しかない……。
アマゾンで椅子と縄を買う
練習用というのが気が利いている。
ワンケーのアパートでちょうどいい場所を探す。探すのに必死になってるのがばかみたいに思える。椅子をその下に置く。いつでもできるなと考える。私は「おしゃれ シンプル イス インテリア」には座らない。それは立ってから蹴落とすためのものだから。その椅子の横にあるベッドで寝て、その椅子の横にあるテーブルで会議に参加する。プロジェクト引き継ぎの会議のたびにそれを眺めたり、夜寝る前に座面を触ってみたりする。いつでも準備はできている。私たちは練習なしにここまで来たのだから、最後まで練習はいらないはずだ。だが私のプライドは縄に頭を下げるほど落ちぶれてはいない。縄が私の方に来るべきだ。
AIがブログを書けばOKみたいな論調が出てきてムカついたので書いた。反省はしていない。