コミットからの逃亡
日記に続くもの
今週は製本化されたもの、パッケージ化されたものをよく消費した一週間だった。
非常に長い記事になるので、以下を参考に、好きな部分までたどるとよい。
- BABELZINE書評
- 『アド・バード』書評
- ジョルジュ・アガンベン関連書籍書評
- 『正解するカド』評
今週は製本化されたもの、パッケージ化されたものをよく消費した一週間だった。
非常に長い記事になるので、以下を参考に、好きな部分までたどるとよい。
先日の日記を更新した。
今日は晴れだった。
情報化社会と権力の解放が極限まで進んだ世界においては、個人のプライバシーは消失する。(『個人のプライバシーがない』とは非文めいているが)我々は他人の全てを知ることになるし、逆に――もしくは、その対価として――他人に全てを知られることにもなる。
そのような時代における日記――ネオ日記――に書かれるのは、皮肉にも『今日は晴れだった』程度の事だろう。それ以外の情報は、全て完全に外部へ記録される。今日は晴れだった。その光が私の瞳孔に刺さった。そのまぶしさ、私の光彩が絞られる痛み――私的で、どうでもいいもののみが、我々の自由に扱える情報として残される。
このような観点からすると、ネオ日記時代の文学は極めて牧歌的になり得る。