アルコールについていくつか

日記

とても久しぶりに日記を書く。 だんだん私も理解してきたことで、多くの人が幼少期に学ぶべきものとして、生活には述べるところがあまりにも少ないということがある。 私はこの事実を『ユリシーズ』を通して理解した。生活は単調で、すべてがルーチンと化していく。 朝日が昇る、服を着る、顔を洗う、化粧をする……すべてが徐々に巨大な柱に巻き取られていき、それの外周を歩くのには24時間かかる。

私は一体どんなメタファーを使おうとしているんだ? そんなものはどうでもいいことだ。

何にせよ、私は書くし、それは書くべきでないことや、書くことによる効果("書く意味"とあなたは言うかもしれない)がないものや、 あなたや私にとってどうでもいいことを含む。例えば昨日の停電のことなど……。

日記

一ヶ月も空いた。

くっそ暑い

日記

くっそ暑い。昔、ファッキンホットと、ウェットスーツを来た女性がブチ切れている動画を見たことがある。 このような種類のTV番組は、今はできないだろう。 理由は単に、こういったビデオクリップは、『ガイジンの反応をバカにする』こととほとんど不可分で、 原則として、人種や出自に基づいて、人間を笑い者にすることは、彼らの同意が取れていないときには、 悪徳だとみなされているからだ。

ただ、この価値観は、ここ10年近くで急速に発展してきたものだし、未だに『ロシア美人をはめ倒したい』という意見が聞かれることからしても、 十分に浸透しているとは言い難い(もちろん、あなた達は、より露骨な例を思いつくだろうし、思いつくくらい、しっかりとこの世を眺めてきたはずだ)。

個人的な感想としては、移民政策に関して、現政権がどのような対応をしていくのか見ものだが、 これは単に、キャットファイトを眺めるのは、少なくとも動きがあるので退屈しないという点において 見ものだというのと同じようなものだ。

花火についていくつか

日記

おそらく風邪がなおった。ところで、私達は、何をもってか風邪が治ったと言うのだろうか? だるさが消えたとき? 頭痛が消えたとき? ところで、私達はどうやって、あなたの頭痛が消えたことを知るだろうか? こういった疑問は、大学一年生が持ちがちで、ウィトゲンシュタインが答えがちな疑問だ。
私はこれに関して、もうあまり踏ん張っていることができなくなってしまった。というよりも、哲学の意味を精神的な病気の治療とみなすなら、私はすでに、この疑問に関しては治療済みだ。
風邪が治ったと言いたいだけだった。なんでもいいか。

花火があった。私は上野のガードレール下で、飲酒をしていた。驚くべきことに、私にも友人がいて、彼らと一緒に酒を飲むのは、かなり愉快なことだ。酒がなければ、もっと素晴らしいことは言うまでもない。人生とはかくあれかし。
次は、その飲酒場(なぜ居酒屋と言わなかったのか? 私には説明できない。このようにして、僕は狂気を飼うことができる。間違えた熟語。あなたもやってみるといい。)の話だ。

いくつか

日記

風邪を引いている。すこしだるいだけだ。それ以外に、書くべきことはほとんどない。おそらく、もっと楽しいことが現実には起っているが、それを書くだけのガッツを、現状、絞り出せない。

7月も終わろうとしている。23歳の夏というのも、このようにして過ぎていく。昨日は都内でデモが行われていたらしい。私は、具合が悪く、研究室を早退して、家で寝ていた。私の言いたいことがわかるだろうか? 全てはこのようだ。私はうまく集団に溶け込むことができない。きっと私は自分をチェックしすぎる。旧約聖書によれば、モーセが十戒を取りに行っている間、金色の仔牛の周りで踊っていた者たちがいたようだ。彼らはすべて豚のように屠殺された。神の功徳はかくあれかし。私はなんの話をしているんだ?

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