百合根を暖めると好きな根菜発表ドラゴンが生まれる

生きている人間じゃないんだ。稲川淳二はこのように霊を述べる。それは 死んだ人間、すなわち死体であることを意味しない。腐敗し、動かず、そして荼毘に付されるべき単なる物質を意味しているわけではない。彼が説明しているのは、生きているという部分がない人間がいて、それがまさに彼の足元から忍び寄ってきている、ということだ。生きている人間じゃないんだ。これはこの世のものではないんだ。

これはもしかしたら馬鹿げて聞こえるかもしれない。人は死んでいるか生きているかのどちらかで(中間項は存在しない。生と死にかかわる議論はその境界をどこに引くかに注目している)、生きている人間ではないのだったら死体だ。それ以外はありえない。

しかしそうではない。死体と生きている人間の間に横たわる領域には、物事が存在しうる領域が存在する。現実の何かが掛け違ってしまった(もしくは、現実は常に掛け違いうるもので、実際に掛け違った)領域が存在する。そこでは時間が奇妙に歪んでいて、そこに存在するのは霊――生きてはいないが、決して死体でもないもの――だ。もしまだ不可解なら考えてみてほしい。霊はいるのか、そしているとしたらどこにいるのか。私が好きなのは『夜汽車での話』だ。

知り合いの息子

4月は出会いと別れの季節といわれる。真偽のほどは確かめようがない。だが、文明の進歩は画一化を促すから、遅かれ早かれ、4月と季節という二つの言葉が接続することは稀になっていくだろう。

話は置いておこう。高卒で結婚した知り合いの息子が小学校に入学する。 何か言ってくれと頼まれたので、私は次のような話をした。 これは私が通っていた小学校(そして彼も同じ小学校に通う)でよく噂されていた話で、確かに校舎はすっかり建て替えられてしまっているのだが、にもかかわらずまだ妥当な話のはずだ。

別の世界の衣

別の世界の衣

二月に実家に数日帰った。もちろんやることがないので、近所の公園のベンチに座ったり、駅前を散歩したりする。昔の居酒屋がなくなり、マンションが駐車場になる。雪が街の隅で溶けている。毎年、山梨には一度だけ雪が降り、それが溶けると春になる。空気の匂いが変わり、菜の花が武田通りを埋め尽くす。

甲府駅のヨドバシカメラを物色していたら、小学校のときの知り合いに声をかけられた。彼女は小林という名前だった。結婚して近所に住んでいるのだと言った。彼女からしてみると、私はあまり変わっていないらしかった。確かに私は変わっていないような気がした。明日、中学校に行くことになっても大丈夫だと私は言った。数学のワークを忘れているから杉山先生に怒られると思うけど。

私の曖昧な冗談が原因かは分からないが、小林は昔のことを思い出して、いくつか私に話を聞かせた。会話は過去にしか繋ぎとめておけないのだが、『別の世界の衣』というエピソードとして私は覚えておくことにした。こういう話だ。

日記を書く日々に戻る

日記を書く日々に戻る

すっかり書かない日々が続いていた。理由は単純でやる気を失っていたからだ。 何回も落ちるとやる気を失う。当たり前のことだ。

熱海のホテルの屋上から空に歩を進め燐光を放つ全裸中年男性(『君たちはどう生きるか』レビュー)

(2023/07/30 第一稿)

 上大岡のTOHOシネマズで『君たちはどう生きるか』を見た。それから戸塚に帰った。私は戸塚に住んでいる。全裸中年男性の町だ。駅を降りてから、自分が財布を忘れたことを思い出した。コインパーキングの前で私は立っていた。ポケットを探した。リュックの中を探した。蝉が近くの木で鳴いていた。自動販売機の下を探した。

 銀行口座の預金もマイクロソフトの株も何にもならないことを悟った。恋人の死の前にたたずんで、彼女と遊んだトランプの束が、埃をかぶって窓際に置かれて夜に包まれてこのままカラスたちの慰みものになるトランプの札たちが(何枚かの札が抜けてしまっていて、はるか昔に使い物にならなくなっていたそのトランプが)もう使い物にならないのだと知った19世紀のロシアの侯爵のように。

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