百合根を暖めると好きな根菜発表ドラゴンが生まれる
生きている人間じゃないんだ。稲川淳二はこのように霊を述べる。それは 死んだ人間、すなわち死体であることを意味しない。腐敗し、動かず、そして荼毘に付されるべき単なる物質を意味しているわけではない。彼が説明しているのは、生きているという部分がない人間がいて、それがまさに彼の足元から忍び寄ってきている、ということだ。生きている人間じゃないんだ。これはこの世のものではないんだ。
これはもしかしたら馬鹿げて聞こえるかもしれない。人は死んでいるか生きているかのどちらかで(中間項は存在しない。生と死にかかわる議論はその境界をどこに引くかに注目している)、生きている人間ではないのだったら死体だ。それ以外はありえない。
しかしそうではない。死体と生きている人間の間に横たわる領域には、物事が存在しうる領域が存在する。現実の何かが掛け違ってしまった(もしくは、現実は常に掛け違いうるもので、実際に掛け違った)領域が存在する。そこでは時間が奇妙に歪んでいて、そこに存在するのは霊――生きてはいないが、決して死体でもないもの――だ。もしまだ不可解なら考えてみてほしい。霊はいるのか、そしているとしたらどこにいるのか。私が好きなのは『夜汽車での話』だ。