私が15歳で死んだ時の話

日曜日。馬鹿げた文章を湯船一杯分も読んだ。

たこ(自動小説)



カッサータ、梅シロップ、レシピ

誹謗中傷について

道徳的な観点から見て、私はまず謝罪から始める必要がある。

『君の膵臓を食べたい』はヤバい。『植物図鑑』よりヤバい。

先日の日記を更新した。

ネオ日記

今日は晴れだった。

情報化社会と権力の解放が極限まで進んだ世界においては、個人のプライバシーは消失する。(『個人のプライバシーがない』とは非文めいているが)我々は他人の全てを知ることになるし、逆に――もしくは、その対価として――他人に全てを知られることにもなる。

そのような時代における日記――ネオ日記――に書かれるのは、皮肉にも『今日は晴れだった』程度の事だろう。それ以外の情報は、全て完全に外部へ記録される。今日は晴れだった。その光が私の瞳孔に刺さった。そのまぶしさ、私の光彩が絞られる痛み――私的で、どうでもいいもののみが、我々の自由に扱える情報として残される。

このような観点からすると、ネオ日記時代の文学は極めて牧歌的になり得る。

家ならなんでも

日記2.0

これは存在しなかったインタビューの話だ。死にかけのホームレスに「何が欲しい?」と尋ねた女がいた。ホームレスは「家」と答えた。どんな家がいいんですか?と女が訊いた。 家ならなんでも ( エニー・ホーム ) とホームレスは答えた。彼が家を手に入れたのか、私は知らない。

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