おれは高学歴のはずなのになぜ睡眠時間を削ってポルノ小説を書いていたんだ
2026-10-31タイトル以外に書くことはない。ここしばらく、端的にいってポルノ小説を書いていた。 理由は世の中の尖った意見を真に受けたからだ。いわく、ポルノはポルノだったら最低限読んでもらえるからいい。 なるほど、それは十分に合理的な意見だった。
いや、ここは正直になったほうがいい。私がポルノ小説を書いていたのは、私がエッチだからだ。 エッチで何が悪い? わ、私だってたまには積極的なんだからね。 以降、書いている間に心に浮かんだよしなしごとを書きつける。 スカートの丈が長い眼鏡の委員長が書いていると想像しながら読んでほしい。せめてもの手向けというものだ。
エッチな人にはしばしばあることなのだが、私は勉強家で理論家なので、まずノクターンノベルズにアクセスして、ひたすら読み込んだ。 そしてポルノ小説というのは小説というよりもむしろ一義的にはポルノであることを再認識した。 これはかなり興味深く、というのも、その他のポルノに関して言えば、ポルノというよりも先にその表現様式の中の芸術体型の一つといえるからだ。 エロ漫画は漫画であり、エロビデオは何よりもビデオだ。
小難しい表現をした。もう少し平易な言葉で書き換えよう。ノクターンノベルズを見ると、 おったまげ(ロンウィーズリー)で、とにかくおもしろ淫語100連発みたいになっており、 エロSNSをザッピングしているときとほぼ同じ気分になった。グリフィンドールに3点。 取り急ぎ2つ言わせていただきたいし、ブログは読者に何の許可も求めなくてもいいので何であれ言うのだが、
- 淫語という日本語はない
- エロSNSというものはない
何であれ、形式から逃れることはできない。極限まで切り詰められた描写とキッチュなエロ。 これはある種のエロポエム的な要素もあり、エロポエムという日本語はないのだが、事例をあげることによって 存在を主張するという形式の理論を用いることにすると、例えば、
かさねとは 八重撫子の 名なるべし 曽良
こういうエロポエムもある! 人間の言語における外挿性は極めて高く、我々は存在しないものについて 語ることができ、我々は定義されていない言葉について語ることができ、一度も口にされたことのない約束について 信じたり、また裏切ったり、そして裏切られたことを嘆くことができる。
愛の話をしているので、別の愛の話をするのだが、私の友人の一人が恋人と別れた。 聞けば、彼は彼女に向かって「好きだ」と言ったということだった。これはありふれたことだ。 彼女は「絶対に好きって言って」と返したということだった。これはありふれたことではない。 そして彼らは破局することとなった。
さて、結婚式に行ったり、指輪を買うカップルを新宿で眺めたり、観光地で一人でベンチに座ったり、ありとあらゆる場所で恋人たちのスナップショットを見るたびに、 そして会社の横に流れる大きな川を1時間くらい見るたびに確信に変わるのだが、ありふれているほうが愛は一般に長続きする。区別のつかない粒子。
まあいい。Webのエロエロ激エロポルノ小説の話に戻ろう。私が眼鏡でスカートの長い地味下着の委員長であることも忘れないでいただきたい。 しばらくして気がついたのは、Webエロ小説で最も重要なものは、そのトピックだということだ。 トピック――何について話すか。これが人気であったり注目度を決める。 そして、どうやらWebのエロ小説については、なんか書くのがめんどくさくなってきたな、はしょるか。 第一、エロ小説についてくだくだしく書いて何になるんだ? 一つはっきりさせておきたいが、他のポルノに比べて、エロ小説は遥かに厳しいハードルを課せられている。 考えてみてほしいが、難しい漢字や絡み合った設定、几帳面な比喩表現や心情の表層をなぞるような文芸的な表現が、たやすくえっちになるものだろうか?
要するに、いい感じのエロ小説に出てくるタグを私は調べて回った。 もちろん、仕事でやるなら、タグとランキングの関係を調べるために、概算をつけて、データを収集し、その他色々のことを機械に頼んでやるだろう。 しかし、はっきりさせておくが、私は快楽のためにやっているのであって、効率のためにやっているのではない。 直感と概念を養うために、私は新着小説をひたすら貪るように♡読んだ♡全く♡何だこの記号は♡馬鹿じゃないのか♡こらこら♡負けたりしないぞ♡
異世界転生
異世界転生を書けば最低限の読者が付く。したがってこれを書くことにした。
砂地に流れ込んでくる川の水が、自分自身の水路を探し出して、その道を深く彫り刻んでいく。 おそらく、その砂地の物理的な性質とばらつきを子細に検討すれば、水を流す前からその道のことがわかるだろう。その道のことを 必然的なものだと言うこともできるだろう。しかし、問題は、我々がその砂粒の配置と特性を理解しておらず、これからも理解しないだろうということだ。
これと同じことが異世界転生というジャンルについても言える。 蛇行する読者の流れは異世界転生の道を深く切り込み、おそらくそれはもう若者たちの間では 廃れた文化であるにも関わらず、 涸れ川 としてときおり水かさを増す。
本当に理由はわからないのだが、なぜか異世界モノが流行っている。おそらく運命がそうしたのだろう。 最初の才能を持った者の歩みによって決まっているのか、そうではなくて大衆がゆっくりと秩序を形作ったのかは知らない。 ただ、形式的な異世界転生の物語は残って、ポルノ小説においては、とりあえず爆乳であり、成り上がりであり、マゾメスの奴隷である。
ちなみに、私の手元においてある旺文社の国語辞典(第11版)には、第1者と第3者については項目が立っていない。 これは国語辞典の怠惰と言える。
NHKにようこそ
『NHKにようこそ』という小説があり、はっきり言って20年に一度の作品だ。あらすじはどうでもよく、 その中に主人公が「ポルノで一発当てるか」と一念発起してポルノを書くシーンが出てくるのだが、 そのシーンが極めて優れている。当時のエロゲーの設定をすべて組み合わせることで、最も売れる作品が出てくるという 独自の理論の元、ヒロインの造形がされていくのだが……という話だ。
もちろん、人類の成長は遅く、我々はまだその段階でとどまっている。
痴女
淫乱な女はとにかく出れば出るだけいい。
1つ目の点として、あくまでも一般論だが、人間は傾向として残酷だ。私達は騙したり、殺したり、噂をしたり迫害をしたり嘲ることでこれまでずっと生きてきた。 ときおり、他人が自己の利益をもはや生まない状態になったことに憤慨し、もはや生殖行為ができなかったことを嘲るために、植物の生殖器の部分を集めて、その冷たい体に叩きつけたり、 地面に埋めてもう二度と姿を見られないようにしたり、あまつさえは燃やして骨だけにしてしまう。その叩きつけ方や埋め方、焼き方があまりにも厳かで作法に則っており芸術的なので、多くの人は涙を流したり、整ったりする。
人間の残酷さはわかっただろうか。そして、女も人間なのだから(これは多くの人が認めるだろう!)、女も残酷ということになる。
2つ目の点として、愛における脆弱さについて話さないといけない。どういう立場を取るにせよ、愛においては何らかの合意が必要になる。そして、この合意はどちらかが切り出さねばならず、それが受け入れられるまでは、ずっと残酷さの対象になり得る。
私達はこのことを知っている。この世にまだ粟のような島しかなかったときから。大きな柱を回る。お互いに顔を見合わせる。どちらかが愛の言葉をささやく。そのとき、突き放してどこかに消え去ってもよかったし、おそらく、彼らが最後に火の神を産むことを決めるまでに、何人もの、何十人もの恋人たちがあの柱の周りを回っては裏切っていたのだと思う。失敗した多くの恋人たち。どちらかが愛の言葉をささやく。顎を少し引いて目を伏せる。これはおそらく動物の頃から私達が持っている本能と文明の間にある所作だ。私はあなたのやることを認めるよ。
そんなことはないという者もいる。彼女たちの何人かは、それは合意なんていうものではなかったという。ずっしりとしたなめらかな木のテーブルや照明の落ちた部屋や、自分のより太い腕が力任せに二の腕を掴むことに同意したことなんてないという。その汗の臭いや人の肌がこすれるときのぞっとするような感覚に同意をしたことはないという。ゴムの臭いや味、それを批評する下品な話をすることは説明されなかったという。それらを全部最初から知っていたら合意なんてしないという。そして全部最初から説明されていないことに合意なんてできないという。
彼らの何人かは、合意なんていうものは誰からも求められていないのだという。嗅覚受容体のGPCRに化学物質がひらめいて、刻まれた遺伝子がその匂いを受け入れるかどうか決める。HLAの型によって愛の可能性が定義されている。顔と肉体の形がよい遺伝子の在り処を教える。ドストエフスキーは間違えていて、カネと肉体が争う場所が人間の精神なのだ。ああ、ライプニッツよ、全ては物理化学の世界で起きていて、私達はその切り離れた肉体のさざめきを大きなシアタールームで鑑賞している。
そうであるべきだという者もいる。婚姻届を見よ! 教会を見よ! 鉄の橋におびただしく掛けられた鍵のなくなった南京錠を見よ! 愛は合意だ。社会だけが存在する。検証が不可能な形で提出されるすべての主張は、検証が不可能なのだから、存在について判断を下せないということになる。愛? なんですか その古色蒼然とした響きは おしべとめしべが絡み合うことは単に生物学の領域で発生する典型的な事柄に過ぎない……どこか間違っていますか? ギアを上げていくぞッ
私はそうは思っていない。私達は何らかの合意をするのだと思う。はっきり言って、それはゴミみたいなものに対する合意でもありえる。 具体的に、いきなり脳破壊ジャンルの話をするが、私が中学生のときに、当時好きだった女の子が訳分からんバカの先輩と付き合うことになった。 もちろんバカみたいな告白が体育館の裏で行われたわけだ。で、バカ男は何も分からないままに何かたわごとをほざいて、彼女はまあなんか頷いたわけだ。
後日、彼らはもちろん別れて、ざまあみろ、死ね、バカが、おれは二次関数の傾きも求められるぞ、と私は思ったのだが、彼女に聞くところによると、いくところまでいったということだった。 何だって? と私は半笑いで尋ねた。いくところまでいったのか? 彼女はそのとおりだと言った。いくところまでいきたかったのか?と聞いた。彼女はそんなわけがないだろと言った。 しかし、彼女は明らかに同意した結果としてそうなったのであって、それがどんな内容に対する同意であっても、彼女は同意しないことも選べたはずで、まさにそのとき、顎を引いたり何か破滅的なたわごとを漏らすときの緊張感について私は話している。 さて、念の為に付け加えておけば、それから十年以上経っても、思い出すたびにめちゃくちゃ抜けるエピソードである。私が座っていた椅子がささくれていて膝の裏に突き刺さっていたことまで覚えているよ。
キウイが好きなのだが、キウイを買うとコバエが自然に発生する。本当だ。 自然淘汰の結果、コバエはもはや市販のコバエゼリーではどうにもならない。手のひらでどうにかするしかない。 そして、ある日気がついたのだが、交尾しているコバエは飛ぶ速度が低下するので、極めて殺しやすいということだった。
したがって、愛についても、女の残酷さというものは存在し、以下のようなものがある。
- イキ告してきた男をネタにする
- 毎朝「おはよう」と言う
- ディズニーに誘う
このようなシチュエーションに私は主体として無縁ではないし、つまりイキ告してフラれているので、書いていてかなり厳しいが、思い出してほしい。 私はスカートの長い(絶対に長くなくてはいけない!)地味下着の委員長であり、得意科目は国語と音楽、提出物はかならず提出し、社会科のノートが色とりどりのペンでまとめられていて、掃除なども丁寧にし、おい、こっちの掃除は勉強が必要みてえだなというわけである。すみません、変態体育教師が出てしまいました。
話の軌道をなんとか戻そうとしている。そう、裏切ることについて話していたのだった。淫乱な女に裏切ることはない。 淫乱な女は確かに冷酷かもしれないが、愛については彼女たちはある種の不具者で、彼女たちは拒否する権利を持ってもいないし、 愛における襞の部分を持っていない。それはつるっとして美しい『理想的な』人間で、だから、原則として理想的な世界であるポルノ小説ではえちえちなギャルがオタクくんに逆にイキ告をしてくる。
そういうわけで、とにかく淫乱であればあるだけいい! ということになる。
ひるおび理論
20歳のときに、たいへん面白い小説を書く男と知り合いだった。彼に、どうやってそんなに現代的な要素を貪欲に取り込むことができるのか、と尋ねた。彼は、
ひるおびに出てくることを全部書くんですよ
と答えた。これは私に取って天啓だった。ひるおびは大衆の嗜好の抽出機であるとともに成形機でもある。身の回りにあるものをただひたすらに取り込むこと。見境をつけないこと。
私はFANZAを開いて、「女性上位」で検索した。7日間レンタルだと1本300円程度で買えるので、まずは3000円ほど払って見始めた。気が利くねえと私は呟いた。 しかし、勘違いしないでほしい。これは勉強のためだから。私が地味な委員長だと覚えているだろうか。そして地味な委員長ほど、淫乱である(証明済みの事実)。そして勉強熱心である。
独自の要素
避けては通れない話題をしよう。AIだ!
まず明らかにしておきたいのだが、私はLLMやそれにツールコールが付いたものを、一般にAIと言われているものを、ハードに使っている。仕事でももちろん使うし、プライベートでも利用する。 高いGPUを所有していなかったときは難しかったのだが、いまや、Bonsai2が極めて小さなVRAMしか 持っていないGPUでも動くようになった。StrataやMayaといったソフトウェアがあることも知っているが、素人っぽいのが気に食わなかった。
これらのいわゆるお家でもできるLLMは、/chat/completion/ APIも面白いが、生の/completion APIも極めて興味深く、やろうと思えば、 Next-token-predictionに激エロをなんとかして出させることもできる。
世間では、これらのLLMが芸術を『喰って』しまうということが言われていた。作家によっては、9割の作品をLLMで執筆した、などというものもいる。 これらの『LLMを作品に適用した』系の芸術家のくだらなさは言うまでもない。第一、作家が内容ではなくその作成方法で売り始めたら終わりだ。
私個人の意見をいえば、私は小説を書くことを単なる娯楽だと思っていて、娯楽はできれば自分自身でやりたいと思っている。
もちろん、人の中には、設定やプロットを組み上げることが楽しく、実際にそれを現実化することは単なる肉付け的な作業だと思っている人がいるのも承知している。 そして、昨今のエンターテイメントの潮流で言えば、おそらく、そちらのほうが利得の最大化に寄与する気すらする。 疑問に思うなら、本屋に行ってみればいい。小説の書き方やエンターテイメントの作法を見ると、ほぼプロットを固めたり、ストーリーの構成に付いて大きな紙幅が割かれている。 大塚英志の本などがその北極に存在し、魅力的なキャラクターとストーリープロットが存在すれば、その作品は媒体によらずに訴求力を持つのだという。 これはメディアミックスという戦略が成功し続けていることによっても裏付けられる。YOASOBIはそれが音楽の領域にまで広げられると主張している。
私もここ10年くらいはそのように思っていた。緻密にストーリープロットを作成し、主人公にハードルを課し、カタルシス、3幕構成のスタイル、明確な動機と矛盾、共感を引き起こすテクニックの多くについて理解をした。本屋に行ってみれば、多くの本がこの作法に沿って書かれていることもわかるだろう。
ここでよくわからん論を練ることもできる! いわく、LLMは統計的に学習しているので、このような形式化が容易な小説については、遅かれ早かれすべてを奪っていくだろう、などなど。 はっきり言えば、私は真面目な文学少女で、もちろん性にも興味があって、保健体育のイラストで自慰行為に邁進して、だめ、こんなはしたない女……何の話だったか、ああ、LLM、そう、 LLMがエンターテイメント小説の領域を蚕食するなどという主張はあまりにもなめらかに執筆できる。本当にそうだ。
しかし、私はここでそういうクソしょうもないゴミみたいな主張をしたいのではない。ル・グウィンの本を読んでみてくれ。ガルシアマルケスの本を読んでくれ。ドストエフスキーの本を読んでみてくれ。ブルガーコフの本を読んでみてくれ。トマスピンチョンの本を読んでみてくれ。わかるだろうか。こいつらまじで何も考えていないのだ。
私は、今回、実験的なことを企てた。自分の好きなものをいくつか書いてみる。要求された通りに――異世界モノとして――書いてみる。 そして、その物語がどのように流れていくかを、単に待ってみることにした。もちろん、実際には、私が書くのだが、その状況で何が起こるのかを 積極的にはコントロールしないようにした。世界設定もほぼ決めないことにした。きっと私の知識が何かを補強しつつ、それなりに頑健な世界を構築するであろう。
だから、決めるべきことは一つだ。まず、何が起こるのか? 最も自分が楽しく書けるトピックを選ぼう。 なにせ、一度もやったことのないポルノ小説というジャンルだ。心の底から、エロいなと思えるものがいいだろう。
そういうわけで、私はケモノ系のポルノ小説を書き始めた。
楽しいのなんの。
結果
結果がこれだ。本当に注意しておくが、私が本気を出して激エロにしているので、本当に激エロだ。かなり特殊寄りの激エロでもある。
私は朝の四時半に起きて五時から五時半までエロ小説を書いてから出社することになった。 厳しい日はスマホの中でエロ小説を書いていた。ケモナーのエロ小説を書いて隣の人を怖がらせましょう!
最終的には、800ptというまずまずの数字で終わることになった。反省点は大量にあるのだが、 最もまずかったのは、書いている間に『ブラッド・メリディアン』についての研究を始めてしまったことだ。 これは、アメリカの開拓時代の小説だが、とにかくアメリカの入植者たちとインディアンたちがお互いを殺戮し続けるという話で、 そのせいで、作品のトーンもどんどん暗くなり、後半はひたすらゴア描写をするハメになった。
しかし、考えてみてほしい。隣に座った真面目な文学少女がお道具箱に『完全自殺マニュアル』を入れているのはよくある話であり、 したがってちょっとくらいゴア描写のあるポルノ小説を書くのも、全くありえることなのだ。