りんごジャムとすりおろしたての手
2018-12-18日記
またもや、レズビアンたちが期待されている。 結局の所、彼女たちも恋人たちというだけのことに、我々が気がつくのには、もう少しかかる。
ところで、サントリー公式バーチャルYouTuberの燦鳥ノムが可愛すぎる。発狂しそうだ。私はわたし自身を落ち着けるために、どこらへんが可愛いか説明する。
- 119歳
- 手がでかい
- 短歌が詠める
- 高身長
- 目つきがやや悪い
- 手がでかい
- 髪が短い
- 動画メインなので追いやすい
- たまに水の国の言葉が出る
- サントリー飲料を買うだけで推し活動ができる
- 手がでかい
特に手がでかく、私はまた新しい好物を作ったということだ(基本的に不満足な人生において、好物が増えるということは、それだけ望ましい)。 もちろん、権力勾配とジェンダーロールの固定化の時代にあっては、ほとんどの好物について、固有の瑕疵がある……。
ところで、このブログ記事:東大を舐めている全ての人達へがいろいろ良すぎた。
今日話すのは、りんごジャムとすりおろしたての手についてだが、これも全てうその話だ。
最近ね、まあなんか地方格差をバカにする傾向があると。滋賀の馬鹿は高卒で働けとか、ネットでフカすやつが多いと。 勉強なんて、周りの環境と勉強の方法でほとんど決まるんだから、東京の金持ち以外は東大になんか行けないと。 クソ田舎の国公立の高校に行くやつらは、男子トイレでシンナーでも吸って、TikTokでもやってシコって、 そこらへんの駅弁大学に行って、しょうもない地銀を最高の目標に見て頑張れ、と。 いわゆる早慶上智(?)とか、東大京大とかは、都会の富裕層が占めるんだから、貧乏人は畑でも耕してろ、と。
まあいいんですよ笑、これ。だって、まあ一部にはそうですし、実際、有名市立とか旧帝とか、だいたい東京の進学校ばっかりだから。 そういうところにいる人が、「おれが受かったのは環境と親のおかげ」っていうのは別にいいですよ。 実際、きっとそういう人は地頭があんまりよくない(笑)から、もし島根の高校に通ってたら、そこらへんの専門学校に行ってたでしょうし。 それと、受験とか就職とかがうまく行かずに、ストレス溜めてるネットの人たちが言うのもいいんですよ笑 そういうふうにしか自分の 環境を合理化できないって、自分で言ってるみたいですし、僕は「ふーん」って言うだけです。
ただ、知ってほしいのです。
地方にも『教育をさせたがる親』というのはいるぞ、ってことを。 そういう親のもとに生まれると、周りにいい先生とか生徒とかも、いい教材とか環境とかもない状態で、ただカネを掛けられて 期待されることになるんだぞ、ってことを。 そういう状況に置かれた子供の人生っていうのは、あなたたちが思っているよりもずっときつくて、 簡単に「地方の教育状態はひどくて、旧帝・早慶上智には入れない」って言ったときに、自分の知らない存在を呪っていることになっているんだってことを。
できないことがみんな分かっていて、それでできないことよりも、親だけができると信じ込んでいて、できないことをさせられる苦しみというのがある、 ということを知ってほしいんですね。
これはきっと、東京とかの大都市以外の、日本全国に広がっている、怨嗟とか恨みとか狂気とかの話になると思います。 まず、その始まりとして、僕が「僕の住んでいた街がいかに駄目か」、「田舎で努力しても、それは本当に無駄だが、それにもかかわらず、 期待は一切目減りしていない」ことに気がついたときの話をしていこうと思います。
僕が初めて東京に来て、その格差に愕然としたときの話をしていこうと思います。
問いかけていこうと思います。
僕が初めて東京に行ったのは、高校二年生の冬でした。超寒かったです。どのくらい寒いかといいますと、 そこらへんで老人がストーブを焚くのを忘れて寝て、凍死してたりします。これマジの話です。 僕が住んでいたのはそういう街でした。というか、街って書いてあるけど、ほとんど村でした。 市町村合併許さねえ。 全員が知り合いで、だいたい、うまく歩けなくなっても、他の人が灯油とか買ってくれるんですが、村八分にされると、 そういうライフラインが一切なくなるわけです。 結果として、冬に凍死するという事態に発展します。 更にひどいことに、大体の老人が、ずっとストーブを付けるので、ガンガン一酸化炭素中毒で死にます。デイサービスに行ったら、 介護する老人がころっと骨と皮になってたりする笑。
まあそんなことはどうでもいいですが、私は東京都市ヶ谷の駿台まで出かけていったわけです。 知らない人のために言っておくと(ほどんと知らないでしょうが)市ヶ谷の駿台というのは、医学部を志望する人が集まる予備校のことです。 そこで、高校二年生のための短期講座があり、母親が私を送り出したのだった。 母親は教育に熱心で、今思うと異常ですが、教材と旅行費込で20万円するこの講座に、貯めたパート代を全部つぎ込んでいました。狂ってますね。 毎晩帰ってきては、僕の作った野菜炒めを食べながら、自分がいかに頑張ってパートしているか、 いかに節約しているか、化粧品をケチっているかを長々と並べ立てて、だからお前は頭がよくなっていい大学に言って地銀に勤めなければならないかを滔々と喋っていました。 正直、この説法は三パターンくらいしかないので、僕は「はいはい」と思っていましたが笑。
母の知り合いが埼玉に住んでいて、僕はそこに滞在させてもらっていました。 東京駅に着いて、僕が駅を眺めたり、行きゆく人に邪魔そうに避けられたりしているときに、「あなたがサタケくん?」と話しかけてきてくれました。 息子が九州大学に進学したため、布団があいたらしかったです。 痩せたおばさんという感じで、ひと目見ただけでおしゃべりだと分かる感じでした。こういうの見ると思いますよね。あ、絶対このババアにはプライベートの話、しないようにしよ、みたいな。 僕は結構、そういう判断がうまい子供でありました。
もちろん、泊まるからには……ということで、最初にちょっとした(母親いわく『大金』)を渡しました。 おばさんの家は、大きくも小さくもない2KDLのマンションで、父親は単身赴任で帰ってこないらしかった。 ご飯はどうしたんだ? と聞くかもしれません。 母親は、食事の代金も含めて、おばさんに渡していたようです。
自然と、話は日常生活の話になったので、山梨は暑いとか、冬はうってかわって寒いとか、フルーツを送りますよ、とか、 私はそういう話をするわけです。
ここでまず驚いたことがあります。「そろそろ、自分の割り当てられた部屋に帰って……」と思っていたところで、おばさんは、突然、 池田太作の話をしたんです。まじかよ、と思いました。これマジなんですよ。突然マジの顔で話し出すんです。池田先生の話を。人間革命の話を。
アムウェイの話もしてきました。みなさんはこういう経験ってありますか。
僕は聞き流しました。それがおばさんの日常生活の話なら、しかたのないことだと判断したわけです。 私の母親にもこういうところがあったので(崇教真光でした)、僕はあまりにもこういった事態に対処するのがうまくなっていました。正直ドン引きでしたけど笑。
みなさんにちょっと覚えておいて欲しいんですけど、こういうとき、『相手が別のものになった』と思うといいですよ。
これ、警察官の友達がいる人には分かってもらえるんですけど、他人が自分の知らない一面を持っているときに、一般に使えるやり方です。 小学校のときに、やたら怒られている状況を想像してもらえばいいんですけど。要するに、『やり過ごす』ってことです。 へえ、と僕は答えましたね。絶対儲かるんですね。 そうなのよぉ、と田野口さんは笑うのがウケました。絶対儲かるのよぉ。
そして僕たちは、彼女がアムウェイで買ったもので作ったりんごジャムを食べたわけです。 僕は内心「あとでなんかトイレに行って吐こう」と思ってましたけど(正直、この時点で、この家で出されたものを食べたくなかったです……笑)。 すりおろすのが大切、と僕の知っている田野口さんとは違う田野口さんが言うわけです。 ジャムにするりんごが3つあったら、そのうちの一つはすりおろさなきゃ駄目。 これがみそね、と田野口さんは続ける。私は言いましたね。みそは入ってませんけどね。
閑話休題。
東京はすごい場所でしたね。電車と地下鉄で会う人は、みんな僕よりいい服を着ているみたいに思えました。 ユニクロのカーディガンを脱ぎ捨てて、実家に帰りたかったですよ。まあ実家には帰りたくないので、故郷のどっかにって意味ですけど。 みなさんは最初に東京に来たときのこと覚えてますか。 僕が忘れられないことがあります。電車で隣に座った若い女性の耳には巨大なイヤリングがついていて、それを眺めていたら、彼女は不快そうに眉をひそめ、 席を立って、別の車両に移動したっていう事件なんですけど。 すっごく恥ずかしかったですけど、「なんかスカした東京の女を移動させた」ってことがちょっと達成感ありましたね(変態か笑)。
市ヶ谷の授業もすごかったです。やばいんですよ、講師が。 みなさん、予備校ってどういう人が来るか知ってますか。浪人生ですね。浪人生に人権はありますか。ありませんね。 だから、浪人生をいくらどついても、殴っても、恫喝しても脅迫しても、講師は一切怒られないんですよ。
要するに、なんかヤクザみたいな人が講師をやっているんですね。
僕が受けていた講座は英語だったんですが、とんでもない感じでした。まず、講師の方が教室に入ってくるんですが、明らかに 服装がおかしいわけです。なんでアロハなんだろ。なんで薄い色のグラサンなんだと。 しかもめっちゃ受け口なんですよ。受け口のヤクザのケツ持ちみたいなのが入ってくるんです。
それで、第一声が「お前ら予習してないだろ、全員落ちるな」なんですよ。ええ……って思いましたよ。 確かに、講義資料が配られてたら、予習しなかったのは僕たちの責任かもしれません。 でも、そういうの一切なかったんですよ。 「お前、なんで予習しなかったんだよ」「え、教材が配布されてなくて」「なんで事務に聞かないんだよ」「え……」 「なんで事務に聞かないんだよ」「それは……」
「お前のやる気がねえんだよ」
完全にヤクザの洗脳の手法です。 ヤクザのケツ持ちが、生徒一人ひとりに名刺を書かせて、それをシャッフルして、上から引いていって問題をとかせるんですね。 それで、問題が解けないと、名刺にどんどんチェックが付いていくわけです。 五個チェックが溜まったらどうなるか分かりますか。その名刺が、教壇でビリビリに破られるわけです。生徒の目の前でです。 要するに、『もうお前は、この講座では一生名前は呼ばれないからな』ということです。 恐怖政治そのものですよね。
でも、講義はすごいスピードと密度でした。今まで習ってなかったことがバンバン出てくる。 今までよくわかってなかった文法が、統一的に理解できるようになる。 巨大なA3の用紙が何枚か配られて、それをじっくり読み込めば、 高校三年までの英語のほとんど全てが詰まっている。そういう教材が平気で配られるんですね。 解く問題も、大体が、駿台の講師が作ったものか、難関大学の入試なわけです。
差を感じました。東京にいる受験生は、今までずっと、そしてこれからもずっと、こういう授業を受けていくのかと愕然としました。 努力で差は詰められる、とか、お金が全てじゃない、とか、そういうのが嘘だって僕には痛いほど分かりました。 わからされたと言ったほうが正しいですが。
そして何より、周りのレベルの高さ、授業のレベルの高さを感じるに連れ、そして、 また田舎に帰れば、ろくでもないぬるま湯に戻っていって、差が開くことを受け入れるにつれ、 母親はそれでも、こういうことを、一切理解してくれないんだろう、という、ある種の絶望を感じるようになりました。
だって、母親にとっては、自分がどれだけ頑張ったかが大切で、自分の人生の大半を掛けたということは、 それに見合うだけの成功が約束されていなければ、ずるだったからです。
なんのずるか? 僕にはわかりません。多分、努力至上主義者の言うところの公正に対するずるなわけです。
ここの何が狂っているか、僕はよく分かっていました。要するに、僕はもはや、自分がどうにもならんことが 分かっているにもかかわらず、母親はそれを理解しないだろう、永久に、死ぬまで、認知症になって石油ストーブが背中を むごたらしくただれさせて、褥瘡にまみれて死ぬまで、永遠に僕に期待し続ける――そして、失望し続ける――だろうという、 この一点、まさにこの一点が、完全に、一切の弁解や弁明や弁護なしに狂っていました。壊れていたわけです。
講座が終わったあとで、田野口さんは、「ちょっと、あそこの人の家まで行って、ジャム届けてくれない?」と持ちかけてきました。
僕は怪しいところを感じましたが、うなずきました。僕は打ちのめされていて、そして、田舎に帰ってからも打ちのめされることに、 もはや無気力をもって向き合うくらいしか取れなくなっていました。
「ずっとね、なんかアムウェイを紹介してるんだけど、あんまり分かってくれないよ……せっかくのチャンスなのにねえ、絶対に儲かるのにねえ」
うん、と僕はいいました。絶対に儲かるのに、なんかもったいないですよねえ……。そして田野口さんは、僕にりんごジャムをもたせて、その家に行きました。 その家の人はどういう名前なのか、僕は田野口さんに聞きました。 彼女は答える言葉を持っていないようでしたね。きっと、名前を知らなかったんでしょう。そういう関係だということだったわけです。 つまり、時々、貰われないりんごジャムを携えて、人間革命とアムウェイを伝道しに行き、そして追い返されるというような。
チャイムを鳴らして、「サタケと申します。田野口さんのところから来ました」と、僕はいいました。 僕はこういうとき、極めて無害に聞こえるような声をだすことができます。営業ではない、宗教ではない、非常に まともで、何か親切心から出てきたり、身内の情報を運んでくるような声を。
実際は宗教と営業なんですけど。
その女性はドアをあけました。ドンマイ、と僕は思いました。彼女はぼくのつま先から頭のてっぺんまでを見ました。
「何か……」
僕は極めて論理的に説明をはじめました。こういうときに、適当に押し付けて帰るやつはクズなわけです。普通はそうしますけどね笑。 逆張りって言うんでしょうか。今、この女性が何を思っているか。きっと、「こいつは何だ」「きっとろくなやつじゃないのではないか」 「私は間違えた扉を開いたのではないか」「どうせなにか企んでいるに違いない」。
こういうときに大切なのは、全てを明かしてしまうことです。僕はまず、『自分はそこの田野口さんのところに曲がりしている17歳の男だ』という ことを、はっきりと伝えました。それから、『田野口さんは創価学会員で、加えてアムウェイに加入していて、はっきり言って手のつけようがない』ことをいいました。
「一方で、私も田野口さんには恩義があり、田野口さんがなんかりんごジャムをここの家に運べ、と言ってきたら、なんかまあ断る理由が無いわけです。だから持ってきました。 これが――りんごジャムです。なんかどうぞ……ご随意に……」
彼女はしばらく、りんごジャムを眺めていました。それは相当に大きい瓶で、両手で持たないといけないほどずっしりとしていました。
「もちろん、僕はこのジャムをなんか食べるたびに、トイレで吐いています」
彼女は、そう……と言って、「じゃあ、なんか受け取るから、ちょっと上がって待ってて」とドアをもう少し開きました。 まあ誰もいないんだけど、と付け足しました。どのような感じがしたか。
そこには何か、悪意のようなものがありました。
「田野口さんのところに、なんか、間借りって……ずっとなんかいるわけ……?」
女性は、やや抑うつ傾向を感じさせる声でいいました。私は「そうじゃなくて、なんか長い話にはなるんですけど、なんか駿台の、その、冬期講習に着てまして」 と伝えました。「じゃあ、実家がなんかあって……」「はい。北杜市、山梨県のとても寂しい村ですが……」「へえ……なんか……」 このような会話が交わされました。
「私も子供がいるけどね……なんか反抗期だけど……」
そうなんですか、僕と同じくらいですかね、と言うと、「多分。高1。あ、一歳若いんだ……ふーん……うん、開成高校に行ってる」と女性は答えました。 すごいじゃないですか、と適当に褒めておくのがいいだろうって、まあ分かりますよね笑。「ありがとう。鉄緑の教え方がいいのかわかんないけど、 特に私は教えてないけど、成績が悪くないのだけが救いってね」と、アイランドキッチンの向こうでその母親は言う。
「鉄緑?」
「そうそう、鉄緑会。東大生、その、確か東大医学部の人だけがアルバイトできる場所があって、そこでは、 すっごいいい授業が受けられて、教材も門外不出なんだって」
そうなんですか……と、私は、さっき、なんで『駿台の講座』なんて言ってしまったんだろう、とやや恥ずかしかったですね。 そういう事に気が付かずに、
「ねえ、ちょっと、冷蔵庫のドア開けてくれない? 両手がふさがってて」
と、女性が僕を呼びつけるわけです。僕が行くと、確かに、詰め替えた瓶を両手に持った女性が立っていました。僕は冷蔵庫を開けました。 どうぞ、開けましたよ……。そこにはよくある冷蔵庫の風景――牛乳や卵、できあいの惣菜、少しだけ余ったカレー、ラップにぴっちりとくるまれたチーズ――が広がっていて、 りんごが3つ、行儀よく並んでいたのを覚えていますね。
突然、彼女が僕の肩を後ろから掴みました。ねえ、と彼女は言います。勉強ばっかりで、ストレス溜まったりしないの? そして顔を近づけてきました。彼女が僕の耳の後ろを嗅ぐのが分かりました。彼女の手が僕のへそあたりに伸びるのも。
「断ったら、突然、あんたが上がり込んできたってことにするから……」
僕の体は緊張しました。こいつ……と思いました。要するに、男に依存していた単なる既婚女性だということが、僕には分かりかけてきました。 おそらく、専業主婦という複雑で困難な活動が、単なるルーティンワークになってしまうまでには、それほど時間はかからないのでしょう。 そして、宗教やアムウェイの代わりに仕事に身を捧げることで、さみしさを癒やしていたタイプの人というのは、このようなことをしでかしてしまうのだとも、 分かり始めました。
「りんごジャムを……」
「なに?」
「なんか、りんごジャムを作ったら……しましょう……」
彼女はなにそれ、と笑って、僕の首筋に唇を押し付けたわけですが、僕はすでにナムに陥っていました。無感覚。びっくりするほどの無感覚です。 最初に言った、怒っている先生のことが、ぜんぜん違う他人、もはやものすごい音を発する肉のようにしか思えなくなる感覚。 それがとんでもなく拡大した感じです。自分がここにいないような感じ。
「りんごジャムの作り方ってご存知ですか?」
彼女は首を振ります。わかんないなあ、なんか教えてよ。僕はうなずきました。そして説明を始めるわけですね。 いいですか、りんごジャムを作るときには、大切なことがいくつかあります。彼女の瞳を見ます。彼女はゆっくり顔を近づけてきます。肉塊が。
「りんごジャムを作るときは、3つのうち、一個はすりおろさなきゃいけないんですよ」
「そうなんだぁ……」
僕はキッチンの壁にかかっているおろし金を取りました。そして作業台に起きました。そして、肉塊の手を取って、そのおろし金に置きました。
「りんご、おろしてほしいの?」
「ええ、あなたの手をおろしてほしいんです」
間。
彼女は最初、わけがわからないような顔をしました。僕は彼女の肩を強く掴んで、「いいですか、一つはすりおろさなきゃいけないんですよ」とささやきました。 彼女はおろし金から手をひこうとしましたが、僕はそれを上から押し付けました。 「ちょっと、痛いんだけど」「警察呼ぶよ」。僕は目を見ました。
「いいですか、一つはすりおろさなきゃいけないんですよ」
わけわからない、と彼女は首を振り始めるわけです。僕はそれでも、懇々と、丁寧に説明をしました。りんごジャムを作るときに、3つのうち1つはすりおろさなければならないことを。 そして、それは、本当にどうしても必要なことで、りんごジャムと呼ぶのに、まさに必要でさえあることをいいました。 これは合理的であるばかりか、そのようになされなければならない、とまで、僕はいいました。今思うと、少し誇大広告ですね笑。
そうして30分位経ったあとで、彼女は自分の手をやっとすりおろし始めた。
僕は彼女が自分の手をすりおろすまで待って、田野口さんの部屋に戻った。そして、誰に何も言うことなく、故郷に戻っていった。母親のいる故郷に。
最初にも言ったように、これはりんごジャムとすりおろしたての手についての話だった。