スタイルについていくつか
2018-02-12はじめに
ブログをはじめた。暇だったからだ。小人閑居して不善を為す。天網恢々疎にして漏らさず。
最近読んだ本や、マジリスペクトしている小説家の文体を真似たり、くっつけたり、鋳掛たり、ひっくり返したり、サモツィアー(今作った造語)してみたい。読んだ本を忘れないためにだ。暇だったからWeblogを始めたと言ったな、あれは嘘だ。
短編小説というと、長編・超長編ほど大きな箱は持ち出せないが、ある程度の描写が許されるし、ストーリーを数回ツイストすることもできる。
一方で、掌編、特にWebに書くことができるレベルの掌編というと、悪鬼羅刹の心を持ちて(中将が)小説を切り詰めなさるのが、なんとも言えず(心が)洗われるようだなあと(思って)、この(ふさぎ込んでいた)気持ちもなんになろうか(いや、なににもなりはしない)と(妃は)しみじみと思われることだよ。
手始めに、二人のアメリカ人、ラモーナ・オースベルとアンソニー・ドーアの文体練習をする。彼らは、アメリカの創作学科で小説を勉強した野郎どもだ。創作学科。こいつはやられたね。全く。気が狂っちゃいそうだよ。本気でさ。
彼らは違う親に育てられた双子みたいな文章を書く。多くの人はそんなことは気にしない。なんだって。そんなことかまやしない。明日は三のつく日でミスタードーナツでドーナツがどうの。了解。行きな。
老婆の部屋
ナンナの話は、よくできた嘘のように聞こえる。もしくは奇妙な事実に。「岐阜にいた祖父みたいな話し方をするよね、ナンナ」と私は言う。彼女は頬の肉を持ち上げて笑う。笑った彼女は、太ったリスによく似ている。
「確かにね。私の名前は、『祖母』って意味だし」
「ナンナって部分が?」
「それ以外はあんたは発音できなかったしでしょ」とナンナは言う。「だからいつまで経っても覚えられなかった」
「もう十二年? 小三?」
「小四。サタケ先生のクラス。初めて覚えた言葉は『死ね』と『殺す』。あんたのせいじゃないけど」
彼女は口の中で、コツッと舌を打つ。それからレモン色をしたお酒を飲む。飲み込む前に、強く目をつぶる。
「それにしても、この一様かつ空疎な街、東京で、よく出会えたよねえ」
彼女は焼き鳥を串から外して、適当に混ぜっ返してしまう。私は何も言わない。鶏肉を並べ替えて、皿の上にミニチュアの鶏を作る。皮を首のあたりに置いて、そこから、胸、もも、なんこつ、はらみ、ぼんじりという順番で。
「手首にGPSが埋め込んであったわけ。ナンナのにって意味だけど」
「いい病院知ってるけど?」
「それってどう言う意味?」
「たまには頭を休めたほうがいいって意味」
と、目をぐるっと上に回して、呆れたように、彼女は言う。隣の客のタバコが、ナンナの肘に落ちる。彼女はそれを払う。とても事務的な感じで。まるでなんでもないというみたいに。
彼女はどこかのNPOで、子供――特に、少しばかり才能がありそうな子供――にインタビューをしては、インターネットに原稿を載せている。歌舞伎役者のメイキャップをする女子高校生や、バイクに乗って数メートルジャンプする男の子に始まって、通学路に落ちている空き缶を全て拾わないと満足できない少女や、ハムスターの繁殖にかけては、大人顔負けの実力を持つ小学生について、彼女は話す。
「面白いことやってるじゃん」
「人に話す分はね。どの仕事もそうじゃん」
と言って、彼女はハイボールを一気に飲み干す。グラスを水滴が流れて、彼女の肌の上で丸くなる。とても痩せた店員を呼び止めて、彼女はおかわりを頼む。店員はナンナのことをじろじろと見つめる。日本人のような肌の色をしているのに、顔の作りが太ったリスのようだったからだろう。私はその店員を少し睨みつける。自分が間違った行いをしたと、彼は気が付く。「すいません」と彼は言う。
「あんたが許されたいってんなら」とナンナは言う。「気にしてないってことにしていいよ」
ナンナは大量の酒を飲み、「アイスランドの血がそうさせるんだよな」と俳優みたいな口調で喋る。すでに数時間飲んでいる。私たちはおそらく三軒目の店を後にしている。少なくともそのつもりだった。彼女は駅前でタクシーを拾う。「ああ、そのな」とドライバーに話しかける。「家に帰りたいんだよな」
「お連れさん、ちょっと教えてもらえませんか」
「家に帰りたいんだと思いますけど」
「あのですね」と、運転手は、シートベルトを外す。そして、半身になって、私の方に体を突き出す。彼のドアのすぐそばで、バイクが夜を貪っていく。後に同じような闇を残していく。その瞬間だけ、ナンナは薄く目を開いている。
「この方の住所がわからないんですよ」
私は黙って立っている。私は彼女の家を知らない。ギリシア神話のことを、私は突然思い出す。テュポンは と私の記憶は伝える。ゼウスを憎んだガイアが生み出した怪物です。その力はあまりにも強大だったため、それはゼウスを幽閉することに成功しました。しかし、ヘルメスその他の活躍により、ゼウスは力を取り戻し、暗い洞窟から解放され、テュポンに勝利したのです。
「もし勝手に決めていいなら、ここにしますが」
「そうでなければ?」と私は訊ねる。
「あなたが教えてください」
それには義務の響きがある。私たちの目線が合う。彼の言いたいことは私の言われたいことではない。
前もって謝ってから、私はナンナのバッグを開く。「王子神谷の駅近く」、と私は言う。「正確には、北区豊島八丁目、二十五の十一、千葉荘」。
タクシーがウィンカーを出し、光の束の一本になる。横断歩道を渡って歩くカップルを、私たちのヘッドライトや、街灯、信号機、そして他の光を反射できるもの全てが照らし、祝福する。乱暴な月の光みたいに。
ウィンカーの音を聞くと、少しだけ安心できる。黄色の街灯が、ナンナの膨らんだ頬を照らしては過ぎていく。それは、彼女の顔に、光の粒を置いては、またリセットする。彼女は、一度だけ目を覚ます。「あたしの部屋には二つの理由で来ないほうがいいよ」とだけ言う。私たちは聞こえないふりをする。
タクシーが止まる。私はこれを予期できていなければならない。しかしそうではなかった。
ナンナは合計二回、路上で吐く。私がコンビニに寄っている間、誰か知らない男が、彼女の隣に座る。彼の顔はよくわからない。ルネ・マグリット的なグレーに塗りつぶされている。タバコとカルヴァン・クラインの香水の匂いがする。彼が尋ねる。
「なんなの、お前?」
何も言えずに、私は黙っている。ナンナがゆっくり立ち上がって、大きく深呼吸をする。肩を貸して、彼女と歩き始める。十三歩行ったところで後ろを振り返る。私と男は向かい合う。何か卑猥な言葉で彼は罵る。それだけだ。
私は途中で立ち止まって、彼女が何か言わないか待つ。夜の冷気で、頬がぱりぱりに乾く。それから私は歩き出す。
端的に言うと、確かに来ないほうがよかった。
酢の匂いがする。床がない。次のようなものはある:スナック菓子の袋、脱ぎ散らかしたTシャツや下着、アイフォーンのケーブル、タオル、プラスチックのイヤリング、封筒、ライブのシリコンバンド、リモコン、読めない字で殴り書きされた付箋、お金、肉の切れ端、中身が茶色くなったコーラのペットボトル、ダビングした椎名林檎のCD、髪、毛、口に出すことが憚られる器具、スプーン、木のカッティングボード、そしてそれらの一つ一つにつもった埃。「すごいね」と、私は、自分にいう。
「ナポリのゴミ捨て場みたい」
ベッドだろう部分に、彼女を設置する。彼女は唸る。彼女が手を伸ばすと、さっきまでなかったはずのティシュー箱が、今は彼女の手のうちにある。ナンナは唾液をティシューに含ませると、どこかに投げる。それはさっきまで彼女の手のうちにあったはずなのに、今はどこにもなかった。彼女はきっとここに住む魔女で、その魔法の対価はあまりにも大きい。
「掃除するから」
と宣言してみると、不思議なことに、少し昂揚感を覚える。台所を開ける。ゴキブリが、さっとどこかに消える。ゴミ袋が封も切らずにおいてある。少なくとも、私にはする仕事がある。それは朝まで終わらないだろう。何もせず、朝まで過ごすよりかはましだった。
床ではないかと言えるようなものが見え始めたとき、彼女が起きる。ぼんやりと私を眺める。感謝の一言もない。
皮肉っぽく私は言う。
「悪かった?」
「たね」、と頷いて、続ける。「起きたのは起きる時間だったから。シャワー浴びる。スズキもどうぞ」
「一応、スズキじゃない」
「じゃご自由に記憶を改竄してください」
彼女は当然のように、服を捨てて行く。シャワールームが閉じられて、水音が聞こえ始める。私はその内部を想像する。そしてやめる。
突然、大きな音が鳴る。私は床らしき場所に張り付いた、深い茶色の物質を剥がそうとしている。最初、私は、隣の部屋のいたずらだろうと思う。酔った大学生が暴れているんだろう。もしかしたら、部屋を間違えたのかもしれない。馬鹿な奴だ。
しかし、そうではない。叩かれていたのは、まさにこの部屋のドアだった。それはワンケーの部屋に響き渡る。私は喉が乾くのを感じる。足の先の感覚がない。暴力団、魚の目つきの殺人鬼、薄い舌を少し出して笑う取り立て屋――あまりにも安っぽくて、あまりにも説得力を持っている。それがそこにいる。そして待っている。口からよだれを垂らしながら。
シャワーの音が、いつの間にか止まっている。私はドアの向こうの人間が、何か喋り始めるのを期待する。彼は一体何を求めているんだろう? 彼はどのような声で、どのように壊れているのだろう?
しかし、それはいつまでも起こらない。扉はただ不規則に叩かれ続ける。チェーンロックがかちゃかちゃと音を立てる。まるで遠くからやってきた地震に反応するみたいに。
私は呼吸を整える。唇を噛む。深呼吸をする。注意深く立ち上がる。その間にも、薄いドアを、誰かが叩いている。切迫していて、荒っぽく、狂気に満ちた叩き方だった。しかし、それ以上のことは起こっていない。私は呟く。ただドアが叩かれているだけ。それだけ。
私は、ゆっくりと、一歩足を出す。ドアが叩かれ続けている。すでに、五分以上叩いていた。
何も起こらないことを確認して、私は、もう一度深呼吸をした。そしてもう一歩踏み出した。もう一歩。さらに一歩。
一歩足を出すたびに、恐怖感が薄れる。あれはなんだか、大したことのない、ただ音のようだった。音が出ているだけじゃないか。スピーカーを恐れる理由がないのと同様に、ドアを恐れる理由もなかった。
扉の前に立った時、私はもはや恐怖を感じていなかった。
私はドアノブをじっと見つめる。そして、誰かがそこにいることを確かめる。それは、私たちの部屋の外にいる。そして激しくドアを殴っている。それだけだ。インターフォンは鳴らない。叫び声もない。
なんだか、私は笑えてくる。その向こうに、どのような形の狂人がいるのか、知りたいと思った。アイスランドからやってきた女性の部屋を、延々と叩き続けるのはどのような種類の異常者なのか、暴いてやろう。私はそれを祓うことができる。そして祓わなければならない。
ドアノブに手を伸ばす。私は微笑んでいる。恐ろしいとは思わない。スボンの中にスマートフォンが入っていることを確認する。警察の番号を思い浮かべさえした。私はぎゅっと目をつぶって、開く。金属のドアは、私の体よりずっと小さく見える。そこを叩いているだろう手も。
「やめてくれないかな」
と、ナンナが言う。それはひどく小さな声だ。彼女はシャワーから出ている。彼女の顔には表情というものがない。
私はドアを指差す。それで十分だと思った。これが何度も繰り返されていることが分かった。彼女がこれをやり過ごすために起きたのだということも。きっとこれにうんざりしているであろうことも。
私は彼女の目を見る。彼女は見返さない。私は告げる。
「話すだけだから」
彼女は、自嘲的に笑って、顎でドアを示す。ドアの鍵は掛かっていない。私は部屋の明かりが一段階暗くなって、彼女が口を開いた時、さらに暗くなったと思った。
「あたしはこの子が開けるまで待つつもりだけど」
「わかるかな」、と、彼女は、私の腕を掴む。彼女は私の顔を覗き込む。ナンナの口の端が、ぴくぴくと動く。
「この子には、ドアを叩くしか仕事がないのさ」、と彼女は言った。横目で、ちらっとドアを盗み見た。私もドアを眺めた。
「そういう風に過ごすのがどういうことか、私にはわかんないけど」、彼女は力なく首を振る。「この子が叩けるドアは、もうここしか残ってないんだよ。それはわかるんだよ」
私は、ゆっくりと、腕を下ろす。ドアの向こうにいるものが、私にはうまく想像できなかった。私はこめかみに強い痛みを感じる。足の感覚がなかった。ゴミ袋が、勝手に手から滑り落ちる。私たちは二人でドアを見ている。それはいつまでも叩かれ続けている。部屋はひどく寒い。それは今に始まったことではない。
memo
(ラモーナ・オースベル。技術おばけ。テーマがExplicitなので読みやすい。ラノベ――ラテンアメリカ・ノベルの略――以後の作家らしく、物語論を避ける術がわかっている。『ポピーシード』を書いたから、最低でもBランク。こういう『侵入者との戦い』みたいなのは、最近、頻出だなあ。)
次回のスポイラー:
### インタービュー
青い目玉と赤い目玉――それはトルコ石で作られていて、彼女の眼球とぴったり同じ大きさがあった。彼女の父親が、友人から貰い受けて、彼女にあげたのだった。ナンナちゃん、その友人は、鷲鼻を彼女の頬に擦り当てる。青い目は幸福を選り分けて、赤い目は不幸を睨んでいるんだよ。だからこれが見つめる方をいつも見てるんだよ。離すんじゃないよ。これは君を救ってくれるからね。