バンドアニメは立って見ろ

人生で初めて音楽に向き合うことになった。ドラムを始めたからだ。 友人とバンドを組んでいる。Oasis とアジカンのコピーバンドだ。

個人練習をするために溝の口のスタジオに入ると、横の部屋では Oasis のコピーバンドが Live Forever をやっていて、 部屋を出るときにはアジカンの何かの曲をやっていた。 きっと私と同じくらいかそれより少し上の大人たちがバンドを組んでいるのだろう。

文化は砕け散ってしまったとよく書かれている。 誰もが違う動画を見て、違う趣味を持つ。異なった漫画を読んで、異なった料理を食べる。すべての人たちが違う音楽を聞く。統一的な文化というのはなくなりつつある。 この拡散のことを右翼は文化的堕落だと憂慮し、左翼は内側からの国境の破壊だと礼賛する。

私達の世代にとってはそれはまだ当てはまらない。2時間ぶっつづけてバスドラムの8分のキックを練習したあと(もちろんできるようにはならない)、スタジオの重い扉を開くとき、文化的な結合があるのをまだ感じることができる。これはドラムを初めて良かったことの一つだ。

練習が終わるたびに、友人宅でバンドアニメを見た。 MyGoガールズバンドクライだ。

後者については ボーイズドントクライへの明らかなオマージュが感じられたので、こう……予習した。しかし、そういうテのアニメではなかった(ただ、念のために言っておけば、深夜アニメでレズの話をするのは――それも政治的なキッチュに回収されない形で――かなり大変な作業だし、これからもそうだろう)。

私は3Dアニメなら何でも好きなので、どちらも好きだ。星5をどちらにもつけたい。MyGoは正統的な3Dアニメという感じがしてとても好みだ。難しい部分では手描きが入るのも良い。特に、長崎そよが母親と話すシーンはかなりシームレスに2D-3Dが繋げられていて面白い。 また、オタクの鳴き声っぽい定型句が多いのもいい。当たり前だが見てしばらくは、何をやっても「なんで春日影やったの!」と言っていた。何かが不要かを議論するときは、常に「XXいるよぉ!」と言っている。要するに馬鹿である。いちおう言っておくが、春日影というのは曲の名前で、思い出が詰まりすぎているのでやってはいけない曲である。

ガルクラは3Dの感じが(どこがどうかはわからないが)日本の他の3Dとちょっと違うが、とても楽しめた。特に、サルバトーレ・がナッチのオマージュっぽいシーンには感銘をうけた(冗談)。

どちらも全体的に癖になる視聴感だった。これらのアニメは部屋に座ってヘッドフォンをつけて見るアニメではないように思える。むしろ、立ち上がって、オタクと一緒にゲラゲラ笑いながら見るのが正しい作法のように思える。 脚本の詳細やキャラクターの感情の振幅、整合性に文句を言っている場合ではない。ロックンロールがそうであるように、これらのアニメも適切な進行がされているかは重要ではなく、疾走感とノリが重要なのだ。


とはいえ、MyGoはなんか変すぎる(褒め言葉)アニメだった。キャラクター設定については、そういうモノだと思えば許容することができる。メッセージアプリの既読を絶対につけない文化だったり、ほとんどの登場人物の人格に問題があることも、主人公の燈がのっぺりしたADSに書かれていることも見逃すことはできる。

いや、いちおう最後のについては言いたいことがあるので言っておく。ブログはノリで書くものだからだ。主人公の燈に対する描写はかなりASDをナメているように見える。第一、

  1. 校庭の『いい感じの石』を机に大量に収集している
  2. 黒板の磁石を自分がそうだと思うようにいつまでも並べる
  3. ペンギンが好きだとお世辞で言ったギター(アノン)に対していつまでもペンギンの話をする
  4. 丸いものが好きだと言った友人に対して大量のダンゴムシを送る

など、ブックオフで『もしかして!? うちのこがADSだと思ったら 〜一人で悩まないで〜』みたいな本に書いてあるエピソードを全部入れたという感じがする。このような画一的な描写は、やや奇妙な人間が放つ、個々人に特有の奇妙さから注意をそらさせてしまう。ADSはASDごとに独特の奇妙さをしていて、その微妙な色彩が人間を耐えられるものにしている。 第一、オタクはこれを見てちょっとでも「このアニメ、おれのこと馬鹿にしてないか?」と思わないのだろうか? こだわりの強いオタクの皆さん、脚本家はお前のこと笑いながらこれ書いてるのではないだろうか? グリフィンドールからマイナス3点。

話を戻す。MyGoのプロットはかなり奇妙だ。例えば、MyGo6話と11話ではドラムの立希が作曲をするのだが、このサブプロットは定型に沿っていない。このテのアニメでは、作曲についてのサブプロットは次の定型がよく使われる(機械ですら出してくる)

  1. 曲を作れると大見得を切る
    • オプションとして、この直後に『概形だけはすぐに作れて自信を持つ』シークエンスも入る
  2. うまく曲が作れない
    • 過去とかコンプレックスとか無意味なこだわりとかが謎に出てくる
  3. メンバーと衝突する
  4. いい感じの盛り上がり
    • 過去とかコンプレックスとか無意味なこだわりとかが謎に止揚される
  5. いい感じに和解
  6. いい感じの曲

しかし、MyGoは曲を作るところから物事が始まっている。というか、基本的にドラムの立希が徹夜で必死に頑張るとできる、という流れになっている。要するに、MyGoでは作曲をすることに対しては 時間をかけて必死にやればできる という価値観が敷かれている。加えて言えば、『練習がまともにできていない曲をやる』とか『作ったばかりの曲を演奏する』とか、明らかにここからプロット的に下降しますというキーを提示しながら、普通に成功する。なんで一曲目が成功したのに春日影をやったのですか? 

ここで気がついたが、おそらくMyGoの脚本は、7話からベースの長崎そよが過去のバンドと向き合うというプロットに入る。なので、都合上、思い出の詰まった春日影をなぜかやる必要が出てくる。もちろん、春日影は演目にないので、アンコールの形でやらせることになる。したがって、最初の曲は成功しなければならない。というわけで、物語的必然性に基づいて、1日で作った曲が成功することとなる。なんで春日影をやったのですか。言うまでもないが気に入っている。


ガルクラは7話あたりでメンバーがセッションをするときに、あまりにも安っぽい変な色のひらひらが出てきて爆笑してしまった。どういう演出なんだ。しかも「す、すごい、これがバンド」みたいな謎の感想が出てくるのも笑ってしまった。いきなり説明するな。ただ、桃香がかわいすぎるので欠点はない。大人になったら桃香と結婚をします。桃香さんは家事をする必要はありません。私は尽くすタイプだからです。当たり前だ。

桃香のことを考えていたらこれ以上文章がかけなくなってしまった。今回はここで終わりとする。