最強のふたり
2020-05-02日記
『最強のふたり』というフランス映画がある。その映画の存在を大雑把にしかしらない友人たちと、この映画のアメリカ版タイトルを当てるという遊びに興じたことがある。
私が提案したのが"Two"、"The unlikes"、そして"The usuals"であり、まあ比較的当たり障りのない選択だったと思う。友人が指摘したのが、この映画は要するに白人が黒人のために作ってやってる映画であり、要するに、欧米はいまだに 植民時代 の負債を返済中で、それにも関わらずまだ人種的優位の概念をこっそり隠し持っていたということだ。
まあ、人間の倫理というのは、それがどうあるにせよ、絶えず更新されるもので、『最強のふたり』からずいぶんたった今は、私から見て好ましい方向に表現は移り変わっているように思われる。一方で、レズビアンやゲイの愛がレズビアンやゲイの愛だからという理由でもてはやされているという点で、まだかなり改善の余地はありそうだ。
一方で、より広い観点から見ると、ハリウッド的映画表現というのはややドグマティックに見える。脚本家は彼らの才能を最大限に生かし、年に数本は「これはすごいな」というようなものを出してくる。ただ、そこにはラインがある。それを絶対に破らないようにしている。例えばロリをエッチな目で見るなという点だ。ナタリーポートマンも、『レオン』について「こんにちの考えからすると(『LEON』は)だいたい不適切」と言っている。少女に性的なほのめかしを与えるのは御法度だ。
もちろん、私も(含意であったとしても)ロリとエッチする映画がアホほどケーブルテレビで流れて、「ケイティちょっとこっちに来なさい」「なあにケビンおじさんまた蛇で遊ぶの?」みたいな会話がさせるのは双方の尊厳のために避けたい。したがって、このような不文律が敷かれるのも無理はないことだとは思う。
ただ、このような不文律があまりに教義的であることを私は懸念している。少女は徹底的に守られている。そして常に体を鍛え上げ、大人の顎にガッと蹴りを入れる。ババアもまあ強い。全員、ティルダ・スウィントンの信奉者みたいに見える。ハリウッド映画には弱い女はいないみたいだ。全員腕を組んで、何かに毅然と立ち向かい続けている。
『ターミネーター・ニュー・フェイト』なんてひどい映画だった。おそらく開始十分程度で、あなたはこの映画がいったいどういう映画で、どういうネタがあって、そして老アーノルド・シュワルツネッガーがいかに場にそぐわないかが分かるはずだ。
確かに、配偶者であるところの者からDVを受けて、死の淵を這うように暮らしているフランスの女に「おいガレージ行ってスパナ取ってきて後頭部にブチ下ろしてやれよ。強く生きろよ。いつまでも負けたフリをしてなくていいんだよ」と言ってやるのも許される行いではある。
一方で、これは本当に奇妙なことなのだが、社会的な認知のために配偶者や恋人に殴られる人間というのも、事実、存在する。恋人に殴られてTwitterで愚痴って100いいねもらって寝てるという種類の人間だ。これが自己合理化なのか、なんなのかは分からないが、とにかくいるし、なんの因果かそうなってしまった者に罪はない。いるんだからしょうがない。こういう人には「まあ死なない程度にね」くらいしかかける言葉がない。自己決定権とか抑圧とか言っても、当人を混乱させるだけだ。欲望はなんであれ持ってしまったらしょうがないのだ。
しかし、近年の倫理はそれを許さない。XXの一節を頑なに守るXXX教徒のように、それは絶対であり、破った暁には社会的な死が待ち受けている。インターネットは突然あなたに牙をむいて、まあひどいことが起きる。これが映画の脚本家が越えられない線だ。
実は、この線は日常にも浸透している。例えば、次の動画のようなことを言うと、一瞬で人生が終わる(注意:私から見て、このコンテンツはかなり度を越している)。詳しくはこのリンクを参考のこと。
しかも、より悪いことに、この不文律は日々刻々と変化する。もし、あなたが本当に危険を避けたいなら、一生黙っているか、毎朝起きて、ウォールストリートジャーナルだかTwitterだがFacebookだかをチェックして、次の不文律を正確に理解する必要がある。
私は欧米圏のこの手の議論に触れるたびに、彼らが目指すものがなんなのか分からなくなる。差別の撤廃と、すべての人に機会平等を与え、全てを白日の下で執り行おうとするはずの取り組みは、むしろ陰鬱な結果をもたらすように思える。全ての人が黙り込み、無害なように振る舞い、そして自分たちだけの地下室で、こっそり、口には出せないような悪魔的な所業に及ぶ -- あまり清廉潔白でない私には、むしろこのような未来の方がずっとありえそうに思える。何人かの男たちはそれに気がついているし、そのうちのさらに何人かは実行してもいる。これは忌まわしいことだ。