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サンポールのソロモン的解釈

日記

 『ゼンデギ』を読んだ。なかなかおもしろい。二冊連続で、ここに書くくらい面白い本に当たるのは、めったにないことだ。
 ところで、米には六柱の神が載るという。ソースはない。そもそも、『米には六柱の神が載る』ことを正当化しようと思ったら、まず神の存在を正当化せねばならないのではないか? 違うか。ともかく、我々はその様なところには立ち入らないつもりだ。これはあなたに認めていただこう。
 さて、一方で、サンポールには三柱の神が宿っている。これはサンポールそれ自身の名前、そして名は体を表すところから、非常に自然な形で演繹される。
 私はいつも、ソロモン七二柱の話を聞くたびに、それの依代の準備はかなりのものがあったのではないかと思っていた。もちろん、彼はブラスに72柱を閉じ込めおおせたのものの、そこから特定の一柱のみを取り出さねばならぬとしたら、もちろん、それぞれの独房を作らざるを得まい。米の部屋は広すぎて、ソロモンはアモンを呼び出すときに、バルバトスとストラス、サレオス、マルコシアスにオリアスまで一緒に呼び出さなければならなくなる。ひどいねこれは。
 一方で、七二個の真鍮器は多すぎる。ここで、彼はサンポールを使ったのだろう。72 = 3 * 24。無論、この24は、2+4 = 6であり、この6という数は、旧約聖書でヨセフの前に生まれた男の子の数とぴったり一致する。これはすなわり、二四本のサンポールが、まさにダンからゼブルンまで続く六人を神がヨセフに従わせたのと同じく、72柱の悪魔がソロモンに従っていたということである。
 これはかなりまずい冗談だった。

『LAヴァイス』

『LAヴァイス』メモ

トマス・ピンチョンが書いた『LAヴァイス』を読んだ。最近、少しひどい本が多く(『オールドパンク・哄笑する』はほんやくがちょっとひどすぎてワロタぞ)、ディプレッションに悩まされていたが、この本はかなりなかなか結構良かったので、メモを残しておく。

日記についていくつか

日記

 Charles Bukowski の The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship という本を読んでいる。やる気がややなくなる。

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