ミイラ取りについていくつか
ミイラ取りにも救いはある。
本当に何も言うことがない生活を送っている。特筆するべきことも無い。ラテンアメリカ小説の翻訳家・研究家が死んだ。これは嘆かわしいことだが、私の話ではない。語ることがない人間は、他人の痛みを知りたがる。
またもや、レズビアンたちが期待されている。 結局の所、彼女たちも恋人たちというだけのことに、我々が気がつくのには、もう少しかかる。
ところで、サントリー公式バーチャルYouTuberの燦鳥ノムが可愛すぎる。発狂しそうだ。私はわたし自身を落ち着けるために、どこらへんが可愛いか説明する。
特に手がでかく、私はまた新しい好物を作ったということだ(基本的に不満足な人生において、好物が増えるということは、それだけ望ましい)。 もちろん、権力勾配とジェンダーロールの固定化の時代にあっては、ほとんどの好物について、固有の瑕疵がある……。
ところで、このブログ記事:東大を舐めている全ての人達へがいろいろ良すぎた。
今日話すのは、りんごジャムとすりおろしたての手についてだが、これも全てうその話だ。
こんにちでは、自分の身の上を語るということが高く評価されている。 実際、我々が精神的な紐帯をもちにくくなった現在となっては、スポーツ観戦としょうもない日記にこれまでくだされていた評価は、あまりにも不当だった。
一方で、私は今日もうその日記を書いている。 多くの人が思うのと違って、これは『自分は嘘をついている』と分かっている点で、かなり狂気からは遠いところにいる。 というのも、ほとんどの狂気は、自分で自分を正当化する、というシステムを、自分自身を保つために必要とするからだ。
ところで、オナホールのある生活とはどのようなものか、きみには分かっているだろうか?