Category:うそ日記

家についていくつか

日記

 ところで、一週間に一回しか書かないならば、もうこれは日記じゃないだろ謝罪会見だ謝罪会見、報道各社にFAXを流せ、ついでに、旧態依然とした報道のあり方をちょっとくすぐってやれば、あなたも少しは有名になる。私はなんの話をしているんだ? 私は雨にすべての責任を帰す。実情は異なり、私は意識的に、雨の日は抑うつ傾向になるようにしている。あなたは不気味さを感じることができるし、あなたが不気味と思うことを考えて私は書いたのだから、特段、あなたが引けめを感じる必要はない。

 何冊か本を読んだ。最近、気がついたことだが、僕はおそらく、本を読みすぎている。この世において、一体どれほどの人々が、外国文学を読み続けるというのか? 僕はかつて、この数字を、かなり大きく評価していた(一億人くらいだ)。というのも、僕たちの多くが、ゲイのカエルとゲイのカエルの本を読んだことがあるからだ。もちろん、僕たちは無意識的に、『読んだことがある』と『読み続けている』の境界を撤廃していたのだが、それは許されざることなのは、もうなんだかひたすらはっきりしている。ついでに言っておくが、まったく読まないのは病気だが、あまり読みすぎるのも、同様に病気である。
 さて、もちろん、あなた達は、先程のパラグラフから、差別的な発言を望むだけ切り出せるだろう。
 しかし、私がこれを、ある種の作品として構成していることにも、また気がついているはずだ。日記が真実を語るとは、私は一切思わない。一度は、あなたも日記をつけたことがあるはずだ。そしてあなたはやめたのだが、その理由は、あなたが、単に、あなたによって改ざんされた記憶を、あなたが体験したことだと書いてらんなくなっただけじゃんね。より一般に、すべての書かれたことには、今のところ、虚飾が混ざっている。私はそれに、あなた達のうちの何人かより、自覚的なだけだ。
 何より、私が書き続けるのは、単に私がどうにかやっていくためにすぎない。よって、あなたたちは僕を無視することができる。私はなんとか切り抜けてきている。私はいるのかもわからない男のことを考える。男の子らしくと言われ、それだけを信じて成長している男の子。鞭が彼の尻を叩くところ。彼が成長した後、私はこう言ってやるべきなのだろうか? 君の価値観はあまりに時代おくれすぎて、君はいっさい口を開くことができない。かくして、私は構造にすべての責任を帰し、しかし、彼を廃人同然にする。あなたと私は、特に疑問に思うことはない。

想像上の友人についていくつか

日記

 飲み会を二日連続で行った。頭の中がすかすかになる。ワーキングメモリーがほとんどなくなる。映画でさえ見てられない。考えがばらばらになっている。
 今日はエホバの証人が来なかった。ついに私も見捨てられたということだろうか? それはそれで、合理的なことだと、私は思う。
 二十五歳以下の若者にはありがちなことであるが、この世の、あらゆる問題に対する、完璧な解を与えられると、私も思っていて、全ての言葉が、ふくよかな銀髪をたたえた老人どもがどえらく構築しやがった蒙昧に対する、最終通告になると勘違いしているのだが、要するに、時間には限りがあるということだ。もう一年近くも、ヘラヘラ笑っているだけのやつを勧誘することで、彼らの地位が、彼らのコミュニティの中で上がるとは、考えにくい。
 なんでもいいか。

導師に会う

日記

 本を数冊読んだ。ひたすらに調査を続けている案件もある。まだ時間がかかりそうだ。ある種の人々は、あまり調査しすぎるのも良くないというが、ぼくはまた、”あまり調査しすぎる”の段階に入っていない。巨人の肩に乗るのは難しいが、足元にもたどり着いていない学生が、そういう事を言うのは、時期尚早というか、傲慢というものだろう。
 なんでもいいか。

 土曜日はいつも遅くまで――九時くらいまで――寝ている。この日は目覚ましを掛けていない。何にせよこのくらいになると起きなければならない。というのも、エホバの証人がやってくるからだ。こっから先はちょっとセンシティブ情報で、検閲だ。

風呂についていくつか

日記

 ブコウスキーの The captain ... を読み終わり、Portions from a wine-stained notebook を読み始めた。実を言うと、日本語訳をすでに読んだことがある。こんなことをしてなんになるのかと聞かれれば、何にもならないと私は答えるだろう。
 しかし、そもそも一体、何がなんになるのか? 諸行無常の響きあり。奢れるものもひさしからず。京都の街が焼けたのは、単に防火防災の観点を都市設計者が取り入れなかったという、無知に帰すべき事柄だが、一方で地球がそのうち単に消えて無くなるだろう、という天文学者の意見は、つまりこのようなことである。
 我々の生は、要するに全く、本当にびっくりするほど全く意味がなく、而して、どのような行動も何にかはせむと言ったところだが、あなたが関知するところにおける誠実な人生というものはあり、それに関してはあなたは妥協しないでいるはずだ。

 これは本の話のはずだった。私は――あなたたちと同程度に――病んでいる。要するに支離滅裂ということだ。無くて七癖という詞書もあることぞかし。話を始めると、私はどうしてもひどい場所まで行き着いてしまう。こちらがひどい場所になります。ごゆっくりどうぞ。

書かない日が続く

日記

 暖かい日が続く。嫌な気分だ。春と夏は暑いから嫌いだ。痩せればどうにか過ごせるようになるのではないかと思い、痩せては見たものの、相変わらず夏は嫌いなままだ。
 そもそも、人間は零下でもなんとか生きていけるというのに、たかが五十度で死んでしまうではないか。これはすなわち、人間は一般に暑いところに向いていないということではないだろうか? 夏が好きな人物は、むしろ温暖化に適応しかけている新人類として称揚すべきだが、それが一般に成立するものではなく、むしろ冬が好きな人々の方が原初の形であったのだということは、いくら強調してもしすぎることはないほどだ。

 以上が冗談であった。豈豈、如何すべし。

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