どうしようもないオタクにしか理解されなくていい
『心を作る』を書いた。
人生で初めて音楽に向き合うことになった。ドラムを始めたからだ。 友人とバンドを組んでいる。Oasis とアジカンのコピーバンドだ。
個人練習をするために溝の口のスタジオに入ると、横の部屋では Oasis のコピーバンドが Live Forever をやっていて、 部屋を出るときにはアジカンの何かの曲をやっていた。 きっと私と同じくらいかそれより少し上の大人たちがバンドを組んでいるのだろう。
文化は砕け散ってしまったとよく書かれている。 誰もが違う動画を見て、違う趣味を持つ。異なった漫画を読んで、異なった料理を食べる。すべての人たちが違う音楽を聞く。統一的な文化というのはなくなりつつある。 この拡散のことを右翼は文化的堕落だと憂慮し、左翼は内側からの国境の破壊だと礼賛する。
私達の世代にとってはそれはまだ当てはまらない。2時間ぶっつづけてバスドラムの8分のキックを練習したあと(もちろんできるようにはならない)、スタジオの重い扉を開くとき、文化的な結合があるのをまだ感じることができる。これはドラムを初めて良かったことの一つだ。
気がついたらNodenariumというリンク集からリンクを張られていた。少し嬉しくなる。と同時に腰を抜かす。広告もなしに日記を配信するだけのサイトを公開している同世代のオタクが他にもいるとは思っていなかった。しかもかなり現代的なデプロイをしている。慎重に言葉を選べば狂気の沙汰だが、狂気が――狂気だけが――歴史を作ってきたのは今更言うまでもないことだ。
今回の更新で言いたいのはこれだけだが、しまりがつかないので日記を書く。
二月に実家に数日帰った。もちろんやることがないので、近所の公園のベンチに座ったり、駅前を散歩したりする。昔の居酒屋がなくなり、マンションが駐車場になる。雪が街の隅で溶けている。毎年、山梨には一度だけ雪が降り、それが溶けると春になる。空気の匂いが変わり、菜の花が武田通りを埋め尽くす。
甲府駅のヨドバシカメラを物色していたら、小学校のときの知り合いに声をかけられた。彼女は小林という名前だった。結婚して近所に住んでいるのだと言った。彼女からしてみると、私はあまり変わっていないらしかった。確かに私は変わっていないような気がした。明日、中学校に行くことになっても大丈夫だと私は言った。数学のワークを忘れているから杉山先生に怒られると思うけど。
私の曖昧な冗談が原因かは分からないが、小林は昔のことを思い出して、いくつか私に話を聞かせた。会話は過去にしか繋ぎとめておけないのだが、『別の世界の衣』というエピソードとして私は覚えておくことにした。こういう話だ。