本邦が終わっていることは周知の事実で、どこに行っても、開口一番「日本って終わってますよね」と言えば、その場におけるインテリの地位を確立できる。一方で、その言葉の裏には、長年の羨望――つまり、いつになったら日本は『一等国』になれるのか――があるのも事実だ。
この記事では、本邦がいかに終わっているかを概観し、その後、霞ヶ関が東京大学の新入生を洗脳して年収2000万の俸給で雇うことによって、日本がOECDの一員として恥ずかしくないレベルの先進国へと発展するだろうと論ずる。
更新が途絶えていた。私が忙しかったからだ。もちろん、諸君らには何の関係もないことだ。ところでU-temo先生の新連載がスタートしている。『今日はまだフツーになれない』だ。面白いので読もう。
時事について触れるつもりはあまりない。
むしろ、私はオリンピックのことについて考えてしまう。東京に選手村ができる。段ボール製のベッドが立ち並ぶ。ホームレスが何人か屠殺される。国外から観光客がやってきて、我々の顔を撮る。インターネットに拡散する。人々は誰と話すときもスマートフォンの録画機能をオンにしている。『はてなアノニマスダイヤリー』とかTwitterとかには外国人嫌悪の投稿がぶちまけられる。ものめずらしい性交の話題とそれに付随する精液も。
埋め立て地の近くの海でアスリートが泳がされ、そして札幌まで出かけていって走らされる。トラックでは誰かが100メートルを9秒で走り、その近くの環状線では、けだるげな顔の中年がすさまじい速度で動いていく。自動車に乗って。所狭しと何かの競技が行われる。アスファルトはかつてない温度になり、夜ですら誰も動けなくなる。救急車が毎晩、新宿を疾走するが、それはアパートで熱中症にかかった嬰児を助けるためではなく、違法薬物をキメすぎたジャンキーを助けるためなのだ。
オリンピック――特に代理戦争と化したそれ――に私はほとんど興味を持てない。それはなんだか馬鹿げた行いのように思われたし、今でもそう思われる。オリンピックがもたらすはずだった『大きな物語』とやらは、実際のところ全く別のものに取って代えられた。